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ちょっと先を考える

2023年8月9日(水)

ときどき、ちょっと先々について考えています。
スケジュールや計画の類ではなく、「こうだったら良いな。」の未来です。

50歳をすぎて、人生100年時代の生き方について考えるようになりました。
41歳のときには、平均寿命の半分に来たなぁ、ぐらいにしか思っていませんでした。しかし50歳ともなると、100年時代の半分であり節目でもあります。そうした数字のマジックで、未来をどう生きていくかを考えることが多くなりました。

こじ付けですが。
ここ昨今の異常気象を目の当たりにし、日本の衰退を感じ、刷り込まれた「ありふれた未来」と、かけ離れた現実を生きていると感じます。

少なくとも、わたしが子供の頃にワクワクした2025年の世界(ロボットが暮らしの中に溶け込み、パイプの中をタイヤのない自動車が走り、富士山の裾野まで高層ビルが立ち並ぶような、繁栄した世界)にはならないでしょう。

そうした中、セカンドライフの時代だと言われ、3年後、5年後、10年後の自分を考えていこうと。なんとなく10年後を考えるのですが、結構おぼろげです。
まぁ。ありふれた未来は、もう来ないので、刷り込まれた脳みそで未来を考えることは難しいわけです。(能力の問題は、脇に置いておきます。)

考えてこなかった。
と、いう後悔と反省の中で、10年後の未来を考えています。
ありふれた未来を捨て去り、難しい現実から、如何に生きるに値する世界を描くこと。そうした頭の体操を、地味に続けていくしかないな、と考えています。

まだ。何も解決できていませんし、どうしたものかと思案中。

ところで。10年前の40歳の時に、10年後の自分を描いた気がしますが、探しても見つかりませんでした。
どんな50歳を描いていたっけ?となってしまいました。記録は残してなんぼですね。これもちょっと後悔しています。

前置きが長くなりました。
そうした背景も手伝って、ちょっと先の未来を考えるようにしています。

最近は「1ヶ月後に、こうなっていたら良いな」を考え、答え合せ---だいたい、できていないことが多いのですが、少なくとも「手をつけた」とか「やり始めた」ぐらいの進捗があります。
積み重なれば、なんとか完了していきます。確実に。

その進捗記録を見て、ちゃんと生活しているし、ちゃんと暮らしているなぁと感じます。いくばくかの成長を問えるぐらいに「記録していることは、有意義である」と考えています。

未来を思い描くことは、大事なことだと思ったりします。

蛇足ですが。
45歳の時に描いた「5年後」を見つけました。
まぁ。
主観が入りますが、概ね描いた通りになっていました。

書けばやるモンですな。


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