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面白いことのメタ的考え

少しづつ、日々の「書くこと」に変化が起きているように感じます。
その感触は、まだ弱く、ほほをなでるていどですが。

毎日何かしら考えて行動しているのだから、ひとつぐらい面白いことが起きるだろうと始めた「毎日note」。
しかし、面白いことはそうそう毎日は起きないものです。

この半年ほどの間に「面白いことって作り出していくものなんだろう」と思うようになっています。つまり面白いことを毎日作っていかないと、面白いことが毎日書けません。

こうして言葉にしてみると、いつも「そりゃそうだわなぁ」と思います。
しかし、心の中で思っているだけだと知らないうちに忘れてしまい、この当たり前のような「そりゃそうだ」すら失ってしまいます。

さて。
どうやって面白いことを作っているか興味があるでしょう?
とても、簡単なんです。

面白いことを自分で作って実行すれば、面白いことが起きます。

「ふざけるな!!」とお叱りを頂くかもしれません。
なんだかトンチのような、インチキのような、煙にまいたような感じですね。

わたしは「面白いことを作る」というメタな練習をしていたのかもしれません。まずは作ってみる、やってみる。ダメなら改善しての繰返しになります。こうしたメタ的に面白いことも、筋トレと同じように練習あるのみです。毎日を面白くするために。

そして、少しづつ変えていかないと、続かないものです。

「あぁ、だからお前の記事は面白くないんだ」と思われる方は、至極まっとうなご意見だと思います。まだまだ、面白いことを書く練習中です。

これから、面白くなっていくと思います。
たぶん。

いつも大好き「Lobsterr Letter vol.133」でこんな一文がありました。

R(注:筆者の息子さん3歳)が一生懸命ニューブロックで何かをつくっているので「何つくろうとしてるの?」と聞くと、彼は「わからないからつくってるの」と返答する。
(引用元-Lobsterr Letter vol.133「Outlook - The Space Between Us,A.O,2021」)

この息子さんの一言にハッとしました。
「分かんないから、つくる。」
自分が毎日やっていることは、子供のころから脈々と続いています。
だから「作ってみなきゃ、面白いかどうかは分からない。」と思うのでしょう。そして、どうすれば面白くなるのかを、毎日探しては試しています。

もうひとつだけ。

断念することも大事なんだと思うようになっています。
悔しいけど、ここで断念しなければ、次にいけない。そういうときが必ずあって、すべてが面白いわけではありません。
面白いことを見つけるために、残念ながら断念しなければならないことも多いと思う、このごろです。

やってみたが、なんだか少ししっくり来ないし、面白くなくなってしまったら、一旦止めてもよいと思います。

とくに大人は、断念しないと大人になれないものなんですね。


(追記)
タイトルと内容を一部修正しました。
なんだか偉そうな文章になっていました……。

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