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3月半ば、
何をきっかけか境目か、
急に暖かくなる日がある。

春の陽気に誘われて、桜の木が花を咲かせる。

桜はかわいそうな花だとずっと思っている。
入学や新学期と紐づけられ
”新学期は満開の桜”というイメージが自然と勝手にできあがるものだが、実際は4月8日を待てずに足元に桃色が敷き詰められる。

なぜ地球は桜に開花の合図を出して、必ず雨風に晒すのか?

やめてあげて欲しい。



目が覚めると、朝なのに部屋が暗い。
カーテンを開ける気にもなれずに、立ち上がる意識の先頭でぼんやりと桜を憂う。

コーヒーを買うため部屋を出て階段を下りる。
マンションのエントランスまで来て踵を返す。
部屋の前でポケットの中から鍵を探り出して傘をとる。

雨の日は人々から同等に音を奪い与えているので、その余剰分の熱がなければまるでモノクロの世界だ。12チャンネルのような世界を、どうでもいい靴で足早に進む。

雨の信号待ち、追い風を感じて傘を倒すと
開けた視界に桜が写った。

遊歩道の先頭だけ開花した桜が、人の価値観に合わせるように咲き誇り、そこから後ろはすべて緑だ。

自分はなにができているだろうか?。


信号が青に変わった。
気がつけばすっかり雨はあがり、傘を持たない人たちが虹のかかった青い空の下で信号を渡る。

ぼくだけが傘をさしたまま、次の赤信号を待ってる。






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