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鹿目まどかの遍在性

作中における現在の世界線(作中でまどかが世界改変を行って概念化する世界線)のまどかの行動履歴は次のようになる。

  • QB助ける

  • 巴マミについてく

  • 美樹さやかについてく

  • 友達放り投げる

  • 佐倉杏子についてく

  • ほむらとお話しする

  • QBとお話しする

  • 円環の理になる

序盤からしばらくの彼女は、主人公のポジションにいるのに特段何もしていないのが目立ち、彼女は必要性が曖昧な存在として描かれ続ける。
しかしほむらの回想による種明かしの後は”まどかが物語の源流であり終着点”となることが明らかになる。
シナリオでは上に示した通り”まどかがほむらに導かれる物語で始まり、まどかの存在の消滅でもって終わる。”
劇中で示されるほむらの回想では”まどかを救う動機で始まり、まどかの死でもってループする。”
⇒シナリオ全体とほむらのミクロな物語の両方で、始まりと終わりに必ずまどかがいる
このフラクタルな構造から、このシナリオはまどかありきで作られたと言うか、まどかの形に作られたと言うべきか、逆に作品の形にまどかがデザインされたと表現するべきなのか…。
さらに、もしもそうであるなら、円環の理も同じようなフレームでもって円環の理自身と作中のまどかとを結びつけることができるのではないか?と考えた。
”鹿目まどかは劇中世界だけでなく作品においての存在も遍在的である”
つまりこの定義が劇中世界で概念になった後の彼女だけでなく、そうなる前の彼女をも説明していたのだとしたら、と考えてしまった。常に中心人物の後ろで隠れているだけなのに、彼女がいないと物語が成立しないというパラドキシカルな設定は、円環の理というこの物語の結末を暗喩していたのだとしたら…さすがに…あるのか?
…まどかで始まりまどかで終わる物語だがその実、その物語のどこにもまどかは存在せず、どこにでもまどかを見つけることが出来る…
あ、やばい頭パンクする。
(”矛盾を孕んだ鹿目まどかという存在”と彼女がマミさんとの会話で「魔法少女になることが自分の願いそのもの」と言ったこともなにかしらリンクしそうだが…キャパオーバー 自己言及的だなぁと全体的には感じるけど定義とか用法うろ覚えだから自己言及的って怖くて使えなかった)

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