運も実力のうち


最近、運について考える機会があった。
差し伸べられたチャンスに手を伸ばさず、それをチャンスとも気付かず見過ごしていく様子を目の当たりにしたからだ。

運とは何だろう。

「お前は運がよかったから」
「勝てたのは運がよかったからです」

などの、皮肉や処理のコメントでたびたび登場する運だが、本当に『偶然』という解釈で片づけていいものなのだろうか。

僕はそうは思わない


僕は昔父にチャンスの神様の話をされたことがある。

話はこうだ、

暗い道を歩いていると、上半身裸で、顔が隠れるほどの前髪、後頭部はツルツル頭、そんな人が猛スピード走りながら近づいてくる。そして、その人は自分の目の前で一瞬立ち止まって、またすぐ走り去っていく。
その一瞬で、恐怖や疑問にとらわれずその人の髪の毛をつかむことができた人はチャンスをつかむことができる。通り過ぎた後に捕まえようとしても、後頭部はツルツル頭なのでつかめない。これがチャンスなんや、と。

この話から分かることは三つある

・チャンスとは一瞬しかつかめるタイミングはこない
・チャンスには恐怖や疑問と隣り合わせ
・そして、その一瞬を逃すと、もう手にすることはできない

つまり、いつ来るかもわからないその一瞬に飛びつけるかどうかが、チャンスをつかめるかどうかである。

どうしようかなと悩む間もなく、未来に対して半歩でも足を突っ込めるかどうか、それは成功する人間とそうでない人間を分ける大きな要因だと考えている。


そしてもう一つ、

「チャンスは平等に訪れる」なんて言葉があるが
僕はそうは思わない。

正確には言葉足らずだ。

チャンスをつかみたければ、チャンスが降ってくる場所をかぎ分けなければならない。チャンスはどこにでも落ちてくるものなどではない。落ちるべくして落ちるものである。

そしてチャンスをつかむためには、「その時」が来た時のために日々準備しておく必要がある、チャンスは降ってきてから考えてももう遅い、傍観している人達にはつかむことはできない。

チャンスが降ってきたのは偶然であっても。
チャンスをつかむのは偶然ではない。

「チャンスは平等に訪れる」では言葉足らず、
「チャンスは日々自分を高め、降ってくる場所をかぎ分ける嗅覚の持ち主には平等に訪れる」

運はしょせん運だと、そこに労力を割かない人はいつまでたっても運をつかむことはないと感じている。

運も実力のうち

まさにその通り


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