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今更ながらnoteを始めてみました。

皆様、初めまして。
高橋了介(たかはし りょうすけ)と申します。
「たかはし りょうすけ」と聞いてピンときた貴方!
そうです!某マンガのFC乗りと同姓同名です(笑)

ですが、僕はFCには乗っておりません・・・・・(苦笑)

話しが逸れましたが、不束ながらnoteを始めてみました。
個人的に使い方としては『忘備録』みたいな感じで使っていこうかと。
年取ると、(今年で45歳!)色々と物忘れが多いので(笑)少しでも文章にでも残していこうかと思ってます。

長々と思いだしながら書いておりますので、暫しお付き合い頂ければと思います。

今の高橋は?

現在、北秋田市の地域おこし協力隊の「マタギコーディネーター」として活動させて頂いております。(2021年の3月末で満期退任ですがっ!)
阿仁合駅でマタギのおもてなしや、ツアー様と一緒に内陸線に乗車して、マタギ講話したり、コロナ前は、首都圏へ秋田県のPR活動とかも行っております。
その傍ら、移住した年に「狩猟免許」と「猟銃等所持許可」を取得したので、移住した年から狩猟を始めています。


ですが、そもそも僕は「マタギ」という言葉は知りませんでした。
では、何故、マタギになろうかと思ったのか。

発端

そもそもの発端は僕の妻からの一言から始まりました。
当時、僕は横浜でソフトダーツのプロ(perfectというプロ団体です。)
をやらせて頂きながら、ダーツバーで働いておりました。
その時はまだ「マタギ」は知りません。
妻が、僕に内緒で北秋田市の地域おこし協力隊の「どぶろくの製造」に応募してまして、もうほぼほぼ決まった状態で突然「秋田に行かないか?」と言われました。
僕は「何でこんなタイミングで秋田の話をするの?」と聞いた所、
「実は北秋田市の地域おこし協力隊の募集で「どぶろくの製造」があって、おとーちゃんに内緒で応募したら、ほぼほぼ決まったのよ!ガハハハ!!」

僕は、妻が前々からお酒関係の仕事をやりたかったのは分かっていたのですが、まさか、本当に応募しているとは思いませんでした。
しかも、最終面接までもう終わっていた・・・・。

その時、妻から「協力隊の募集でまだ枠が有って、マタギの文化継承と内陸線のPR活動があるんだけど、ダーツでダーツ盤狙うのと、猟で狩猟対象を狙うのってなんか似てない?(ニヤニヤ)マタギどう??(ニヤニヤ)」と言われたのですが、当時はそのまま鵜呑みにしてしまい・・・・・・
「そうだね!ちょっとマタギについて調べてみるよ!!」
と、一週間、マタギについて色々調べてみました。

マタギについて調べた一週間

調べていく内に・・・・
〇マタギで食べていく時代は終わった。
〇秋田はマタギの発祥。特に阿仁マタギは有名。
〇実はマタギを継ぐ若い人が年々減っていて、マタギも絶滅危惧種になりそうだ。

等々、マタギを継ぐ人がいないと云う所が心に刺さりました。
後は、動画でもマタギについて調べました。

〇おじいちゃん達(失礼!)がスイスイと雪山を登って、高速で降りてくるあの健脚。
〇クマ(ツキノワグマ)を一発で仕留める、集中力や判断力。
〇美味しそうに熊鍋を食べながらお酒を飲んでいるマタギの皆さん。
(この映像は本当に美味そうだった)

一週間、真面目にマタギについて調べていく内に、何故かマタギの世界にのめり込んでしまい妻に「直ぐ応募する!!」と早速、その日に履歴書だのなんだのって書きました。
もう、マタギの世界に魅了されました。

緊張した地域おこし協力隊の説明会

2017年の11月に協力隊の説明会に参加。その日に北秋田市の担当者の方へ書類一式を渡します。その日の夜に担当者から連絡があり、最終面接を受けて下さいと。

確か12月に最終面接を受けたと思います。
その時、妻も同行したのですが・・・・・・面接では何故か、妻と面接官との日常会話(爆笑)そして、どぶろくの話が進みます(笑)
僕の面接はというと、面接官から「あ、マタギ、大丈夫ですよね?(笑)」位でした・・・・・。(´・ω・`)

あの時の僕の緊張を返せ!!(大爆笑)

翌日位?(一週間経ったかしら??)に、担当者様から連絡があり、無事合格・・・・・・・。なんですが、高橋家は子供も義理の両親も同居してます。
しかも、息子は小児喘息で横浜に住んでいた時は、年に4~5回も入院する位、酷かった。医者からも「まだ小さいので、薬を強くすることは出来ないので、転地療法しましょう。」と半ば、見放された感がありました。

早速、お試し移住で北秋田市に行ってみた

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翌年の1月初旬に、北秋田市へお試し移住(何と!ひと家族最大5万円まで補助してくれる!)を二泊三日でしました。

初めて雪を見る子供達(長女&長男)は終始楽しかったと思いますが・・・・
横浜~北秋田へは車移動(僕が運転)だったので、長距離移動の疲れが無かったのか少し心配はしました。
しかし、北秋田の空気が良かったのか(?)二泊三日では息子の小児喘息も悪化せず、「やはり、田舎(超失礼!!)の空気は綺麗なんだな」とつくづく実感した二泊三日でした。

二泊三日の中で、阿仁スキー場での樹氷鑑賞・秋田犬の北斗とのふれあい(阿仁スキー場の看板犬(ヤルキアルノカドウカ・・・笑))・マタギのシカリ(頭領)をやられている鈴木英雄さんへご挨拶&談笑・初めて食べたきりたんぽ鍋・商工観光課へご挨拶・打当温泉のどぶろくや熊鍋を堪能・・・・等々、充実した内容でした。

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最終日に子供達に何気なく「ここに住みたい?」と聞いたら、即答で「うん!!」と言ったので、夫婦で「こりゃ、確定だ(大爆笑)」となりまして、帰宅後に引っ越しの準備に追われる毎日を送ります。

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移住したのは着任日の一ヶ月前!!

北秋田市へ移住したのは、着任前の2月末。
実際、雪国で過ごすのも初めてですし、娘の小学校の転校や息子の保育園の手続きとかとか、一ヶ月の大半は書類を揃えたりとか提出とかで費やされました・・・・(ホントウニタイヘンデシタ)
3月より、娘が正式に小学校へ登校。直ぐに友達も出来たみたいで、横浜に住んでた時の不登校はどうした!?って位、学校行くのが好きになったみたいです。息子も3月から保育園へ登園。息子も保育園で友達がいっぱい出来たみたい。
地域の皆様へもあいさつ回りにも行きましたが、終始「こんななんも無い所に良く来たね~!(大爆笑)」と、高橋家は物珍し人だと思ったと思います。


今後は?

高橋家、実は僕の任期満了後、市内にまた引っ越しします(笑)
今度、住む場所は「阿仁合(あにあい)」という、江戸時代~昭和初期までは鉱山町でもあり、マタギとも深い縁もある地域です。かの平賀源内も阿仁合に来たとか?
家も実は着任した年に頂いた(家って貰えるんですね!)ので、たま引っ越しの準備がそろそろ始まります・・・・・。(マタヒッコシダヨ・・・)

と、こんな感じで北秋田市へ移住した訳です。

次、何を書こうかは未定(なーんも考えてない)ですが、
今回、移住した経緯を書いたので、狩猟関連でも書いてみようかなーと思います。

以上、FC乗りではない高橋了介でした!

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