「エヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観て

ネタバレあります。


小学生の頃に父親がテレビで観ていたのを隣で何度か観た記憶があるが、まとまった作品をちゃんと観るのは初めてだ。ずっとなんとなく気になっていたのに、長年観る機会を作ってこなかった。

哲学的なテーマが背景にあるという話をどこかで聞いたことがあるが、実際見てみるとたしかに人生の意味について示唆するようなところがいくつか見つかった気がする。今まで観た映画の中でもかなり面白かった方のように思う。

使徒という敵を倒すためにエヴァンゲリオンというマシンを操縦する。この作戦の監督官が、主人公の父親で、主人公はどういう経緯か知らないがエヴァンゲリオンのパイロットに任命される。

この主人公というのが、シンジというナイーブな男の子だ。そして14歳という若さで人類を救うための重要な任務を任されることになる。14歳の男といえば、結構こういう展開に憧れる者が多いかもしれないが、シンジには全くそういうところは見られず、安全でいたいという気持ちと責任を全うしなければならないという気持ちの間で揺れ動く。

このチームには女性メンバーも結構いて、特にスポットライトがあたる二人のうちの一人の女が、シンジの保護を任され一緒に暮らすことになる。

中学生で若くて綺麗な女と一緒に暮らすなんてこれまた憧れてしまう展開だが、シンジにはやはりそういうところは見られない。この落ち着きというか諦念というか大人びたところが、女を惹きつけるシンジの魅力であるのかもしれない。同級生の女の子達から黄色い声で呼びかけられても、まるで動じていないシーンもあった。(このシーンは父親と見ていた時にもなんだか印象に残っていて覚えている)

この女も面白い。明るくてサバサバした雰囲気なのだが、実はちゃんと考えている。シンジが気を遣わないように明るくおちゃらけて振る舞い、風呂場で「ちょっとハッチャけ過ぎたかしら。逆に気を遣わせてしまったかもしれないわ」みたいなことを反省しているシーンもあった。仕事においてもリーダーシップを発揮し、よく周りをみて適切な言葉をかけたりしている。

「すべてはモテるためである」という本で「バカな女もいっぱいいる」みたいなことが書かれていたが、賢い女とはこういう女じゃないだろうか。この女が同僚の女と飲んでいる時に、8年前にも同居していた男がいる、ということが描かれていた。ここの経緯も結構気になった。

「男はみんな自分のことしか考えていない時代なのよ。女には辛い時代ね。」みたいなことを話し合っているシーンもあって考えさせられた。この映画の監督は男なので、この視点を持てるのは結構珍しいことじゃないだろうか。批判精神を感じる。この二人の女も、影響力の大きい仕事に打ち込む二人だ。彼女達はなんのためにそこまで働いているのだろうか。それはよくわからないが、仕事を頑張る女性の姿は素敵に見えた。

話は戻るが、シンジと同居を始めたシーンでは、冷蔵庫の中身がつまみとビールばかりであったり、部屋が散らかっていたりと女の荒れた私生活が描かれる。初めてシンジが女の家を訪れた時、玄関を跨ぐのを躊躇っていたのだが、女に「ここはあなたの家よ。おかえり。」ということを言われて玄関を跨いだシーンが印象的だった。この時シンジは男として一つ進歩したかもしれない。

家に帰ると女はシンジに対して主導権を握る。家では女の方が強い、というのは真理なのかもしれない。シンジも散らかった部屋について色々と感じている様子を見せながらも、それを口にはしない。こういうの男と女の関係において大事かもしれない。

シンジの父親のゲンドウはシンジに対してかなり高圧的に命令する。そして、従えないならそれまでだ、と突き放す。あまりにも自分の子供に対して冷たく厳しすぎるのではないか、と感じた。しかしシンジと同じパイロットであるレイという少女は、シンジがゲンドウについての愚痴をこぼした時にシンジのゲンドウのことを擁護していた。

ゲンドウは目上の人間に対しては従順だが、下の人間に対しては高圧的で挑発的なところが見られる。また、困難に立ち向かう時に不敵な笑みを浮かべるシーンがあった。チャレンジ精神に溢れる男なのだろうか。それについてはかっこいいと思った。

レイはゲンドウの奥さんであるという設定もどこかで聞いたことがある。シンジに対しては冷たいゲンドウが、レイに対しては優しく接していて、それを目撃したシンジが拗ねているシーンがあった。「息子にとっては父親は母親を取り合う敵」みたいな話もあるが、そのようなことを表現したかったのだろうか。だが、シンジはゲンドウに対して面と向かって立ち向かうことはない。

シンジがレイの家を訪れたシーンもあった。レイの家はかなり汚れていて、物がなく、暗い。シンジが探索していると後ろからやってきたシャワー上がりのレイに驚いて、全裸のレイの上にシンジが覆いかぶさるシーンがあった。観ているこってからしたら羨ましいし、さすがにシンジも結構動揺するのだが、れいはあくまで冷淡に、「離れて」というだけであった。

思えば、なぜ異性に裸を見られるということは恥ずかしいことなのだろうか。もしかすると、それも社会の都合で教育によってインストールされた価値観であって、真実ではないのだろうか。レイの姿を見ていて、そんなことを考えた。

使徒と呼ばれる敵はどうやら8体いるらしく、過去にセカンドインパクト、と呼ばれる人類にとっての惨事があり、今後予見されるサードインパクトというものを避けるためにシンジ達は戦っているらしい。

あらゆる所に哲学的視点が散りばめられている作品だから、この「使徒」や「インパクト」にも何か意味が込められているのではないかと思うのだが、よく分からない。

わからないなりに考えて出した答えは、使徒=退屈、インパクト=世界大戦、だ。退屈というのは、「暇と退屈の倫理学」という本で読んだ内容に着想を得た。身も蓋もないことだが、人間は基本的には食糧と寝床さえあれば生存していけるのに、それでも色々やるのは「退屈が怖い」からだ、という内容だ。世界大戦については、セカンドインパクトが第二次世界大戦に対応しているのではないかという安直な推理である。

結局シンジとレイが協力して、使徒を一人倒したところで物語は終わる。シンジは途中で恒例の自己不信に陥り逃げそうになるが、学校の友達のことを考え彼らを守りたい、という意欲を燃やして復活する。また、レイのことを気にかけ、最後にレイを守りに行った場面で、レイに笑ってほしい、ということを伝え、レイは初めてシンジに笑顔を見せた。

「恋愛は親子関係のリバイバル的なものである」みたいなことも聞いたことがある。男の子はみんな母親に笑っていてほしいのかもしれない。それを同じ年の姿になったレイとの関係の中でやり直そうとしているのかもしれない。

総じていうと、メインは戦いの物語なのだが、そこまでの心理や人間関係が繊細に描かれていて、観ていて考えさせられることがたくさんある、面白い作品だった。




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