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振り返り(2023年9月)

サムネは沖縄の無人島でのキャンプファイヤー🔥 忘れられない非日常の時間。



今月のハイライト

ピックアップしていくつか。

沖縄無人島リトリート

コーチングライフの初の外部イベント。個人的ハイライトは夜の星空。穏やかな波音の中、ゆらゆら揺れる炎を感じながら柔らかい砂浜に身を任せて空を眺める。初めて見る天の川は満点の星空の中にはっきりと横たわっていて、空が迫ってくるような感覚に動機さえ覚えた。言葉を失うほどに圧倒的。みんなでしたビーチバレーもキャンプファイヤーも、どの瞬間も楽しかったな。

海が綺麗だった。夕暮れ時は格別。
海辺でビーチバレーはエモし。純粋に体動かすことを楽しんだ。


ビアフェスライブ

沖縄滞在中、たまたま年イチの沖縄全島エイサーまつりがやってて地元民の車に乗せてもらって行ってきた。メインの踊りそっちのけで併設して開催していたオリオンビールのビアフェスに突撃。ライブが始まって全然知らないアーティストの音楽にノってたら想像以上に楽しかった!笑
音楽に身を任せて場が一体感を持つ感覚最高だったな。自分が場に溶けていく感じ。この場楽しめないかも。。。と一瞬よぎっていたけど、そのまま冷めたままいてもその時間はもったいないわけで。だったらその場の楽しさを覗きに行って味わってみるのもいいことだよね。

最後オリオンビールの社長も出てきて大盛り上がりだった🎤
今年初の花火が見れた!夏の終わりに滑り込み。


ストレングスファインダーセッション

スクールが同じコーチの方の呼びかけにノっかってセッションしてもらった。ストレングスファインダー(以後SF)は大学生の時に受けてから時たま思い出して参照してきたけど、SFを使ったセッション自体は初めて。SFは相対的なもの(他人との比較)ではなく、絶対値的にどう生かしていくか?という話をするための分類らしい。過去受けたものを使いながら話していて、上位に来ていた収集心、学習欲が全然ピンと来てなかったんだけど、話していくうちにあれもこれもと思い当たる節が思い浮かんだ。収集が好きは特に発見で、昔から遊戯王カードを集めてたり、自分で英単語帳作ったり。今も本の内容を毎回まとめていたり、レストランをGoogleマップでピン留めしてたり。いつでも利用可能にして、人の役に立てるよう準備していたい自分を発見した。別の資質の個別化を合わせて、"人にピッタリなものをピッタリなタイミングで届けたい"という感覚は多くのことの根底にある欲求だなという気づきを得た。

東京付近のレストランリスト🍽️


コーチングライフのビジョン決め

6月ごろから動いてやっとパブリックにできた。約3年間コーチングライフやってきて、本当に良かったと思ってる。もしコーチングライフやっていなかったらどんな人生になっていただろうとわからないほどに自分に影響した取り組みだったなって。

ビジョン決めみたいなことって結構苦手だと思っていたけど、進めていくうちにとっても楽しくなってたくさんこだわりを詰め込めた。僕たち20代が中心だからこそ、このコミュニティも変化がとても大きい。数年後どうなってるか予想もつかないけど、今この瞬間を言葉にしておけたことは今後の基準点となる意味で大事なことだったと思う。


アート

今年ずっとしたいと思っていたアートした🎨
昔から絵を描くのあまり好きじゃなかったけど、久しぶりに自分から主体的に絵を描きたいと思ったと思う。抽象的なテクスチャアートをしたいと思って絵の具をふんだんに使って描いたら楽しくって。最初あんまりイメージつかないまま描いてて(途中これは失敗したと落ち込んでたけど)、描いてるうちにインスピレーションが沸いて結果満足いく絵になった。

今のこころ内を残しておきたくて、自分の内面をイメージしながら描いてみた。

デトロイトビカムヒューマンの冒頭、アンドロイドが絵を描く瞬間を思い出してた。自分の世話をしてくれるアンドロイドに意志を持って生きてほしいと願う画家が、そのアンドロイドにアートを描かせてみるという一幕。無から生み出すことは無理だと拒否しながらも、実際に創造力を働かせながら描いてみると素敵な絵が出来上がる。

自分も昔から創造的な活動は苦手意識があってアートとか音楽とか避けて生きてきたけど、最近興味が沸いてきてる。自分の中に湧き上がるものがあるんじゃないか?という気持ちになってきていて、上手くできなくても自分が作り出したものを表現したいという気持ちが強いんだと思う。


ずとまよライブ

大学生時代好きだったずとまよライブに弟と行ってきた。改めてライブ聴くとどこか孤独感、切なさを感じるなって思った。ずとまよを聞いていたのは東京でインターンをしていた頃。渋谷の小さなコワーキングスペースで終日作業をしていた日を思い出す。名古屋を離れて若干の孤独感を感じながら過ごしていた時期に重なったのかもしれないけど、現実を跳ね返して生きていく生命力のようなものを感じるなって思う。傷を負いながらも媚びずに生きていく強さを感じる歌詞もそうだし、線は細いけど力強い歌声もそう。苦しい時に聴きたくなる音楽。


今月触れたもの

オールジャンルで印象的だったものをいくつか

ネガティブケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力

共感を持った探索をするには、
探求者が結論を棚上げする想像的な能力を持っていなければならない。

ネガティブケイパビリティという概念を知ってから、大体イメージできたから読まずにいたけど、知り合いコーチがお勧めしてくれたのでタイミングだと思って読んでみた。

ネガティブケイパビリティとは、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える力を指します。あるいは、性急に証明や理由を求めずに、不確実や不思議さ、懐疑の中にいることができる能力を意味します。

素早く解決できることを求められてきたからこそ、じっくり耐えて向き合う力が軽視されているということを見事に言い表していて、本当に好きな考え方。人生どれだけ辛くて不安でも、長期で見たら結局なんとかなってるな〜という感覚があって、目の前生きていくことは大事だけど、不安症な自分にはこれくらい気楽に考えていた方が自分にじっくり向き合える。きっとこれからもいろんなシーンで自分が参照するであろう考え方だと思う。


うしろ向きに馬に乗る プロセスワークの理論と実践

何も感じていないというのは普通、
自分が感じたくない「何か」を相当感じていることを意味する

学びたいな〜と思っていたプロセスワーク。身体性を扱う内容で、無意識に関するユング心理学の概念と、ゲシュタルト療法の実践における技法を発展させたもの。

因果論的アプローチに効果がなくなった時、あるいは、合理的に理解するには人生があまりにも複雑になった時、プロセスワークのようなパラダイムが重要になるのではないだろうか?

アート的なセンスを磨くことにやはり最近は関心が向いているんだと思う。大事なことは身体が教えてくれるという感覚とかは最近すごくしっくりきてる。普段思考や言葉で生きているからこそ、身体的なチャネルを見落としがち。内容か感覚的な部分や解釈のセンスあたりにまだ難を感じるので、要点はつかんだけど、もう少しものにしたいところ。


くるまの娘

辛いのは、痛みでもなく、それに腹の端でもなく、傷を与えたと認められないことだ、と思った。

推し燃ゆに引き続き読んだ。家族の愛し、愛を要請される引きずりあいのような話だった。父も母もシャドウを背負っていて、それが人間関係という表面に現れている。外から見れば共依存的だね。ってことだけなんだけど、当の本人は苦しく必死にもがきながら生きている。こんなところにいてられないだろうと思いながら、実際には逃げ出せないし、自分だけ逃げることを苦しく思う。きっと共感性の高い主人公だからこそでもある。母の苦しみ、父の苦しみに気づく自分は、その苦しみの一部に自分が関与していることにも気づいている。だからこそ、親が悪いと割り切れずに自分にも責任があるとして自分ごととして扱う。自分の気持ちの境界がわからなくなる体験、これはちょっとわかるかも。けどこれをどう扱うか?は自分で自覚してないと自分の人生が侵蝕されてしまう。自分にはそう思う。だからあまり共感できない部分もある。さっさと家を出た兄と弟側の気持ちになってしまう。自分の境界は自分で決める。そんなことを大事に自分は生きているのかもしれない。

少し暗めの世界観とか、家族との関わりが描かれていたり、背中の表現が印象的だったりとかで、やっぱこれが宇佐見りんだな〜と思った。


ロミオとジュリエット

知らずに逢うのが早すぎて、知ったときにはもう遅い。

シェイクスピアを知りたくてとりあえず有名どころ知ろうと読んでみた。ストーリーはさておき、圧倒的ボキャブラリーと表現で、よくこんな言葉思いつくな!と言う応答のオンパレード。普段やばいとかアツいとかって貧弱な語彙を使ってしまう自分を少し反省した。


遠いところ

沖縄のダークサイドを描いた作品。

沖縄民がおすすめしてて帰りの飛行機までの時間に観に行った。早期出産、貧困、DVなど、いろんな問題を抱えすぎて閉鎖感のある日々を生きていく主人公を描いた作品だった。

沖縄で顕著に起きてることなんだろうけど、きっと沖縄だけでなく日本中、世界中のいろんなところで起きている問題なんだと思う。正直なところ主人公に共感はあまりできなくて、このまま行ってもお先真っ暗だから何かを変えないと!自分を消耗させる夫と離婚したりとかしないの?って思ったりとかしちゃう。けれど、問題の渦中にいると視野を見失ってしまうもの。本人からしたら、どうしようもない日々をなんとか生きているんだから外野が好き勝手言うなよ!って感じになるんだろうなって思う。なので難しいところ。


トッケビ ~君がくれた愛しい日々~

なんか聞いたことあると思って見始めたけど、思ったより昔のドラマだった。

久しぶりに韓ドラ!太陽の末裔以来かな。久しぶりに見たけど、ストーリー展開の濃さがやっぱりさすがすぎる。まだ3話しか見てないけど、展開が想像の3倍くらい早巻きですごいのよ。1話1話の満足度が高い。韓国語の音が好きで聞いてて楽しいってのも韓ドラの好きなところ。


今月の気づき/今、感じていること

最近自分の行動に影響のある考え方や感じていることをいくつか。

人生は非連続に進んでいく

最近仕事の話が増えてきてる。先月まではあんまり増えないな〜って少し焦りもあったけど、こう言うのって突然にやってくるなって思い直した。もちろん自分から動いていての前提はありそうだけど。人生って積み重ね、地続きに伸びていくように思ったりするけども、結局自分を大きく動かすのは非連続的な出来事だったり出会いだったり。人生コツコツが全てって思うと上手くいかない時とか苦しいし、人生なんとかなるよって思って待っているだけだとそれはそれで不安になってきたり。優柔不断な自分はあまり好きじゃなくて「〇〇はこういうもの!」ってポジションを取って物事をシンプルにしたくなるけど、結局両方大事だよねという曖昧なことがほとんどで、結局そこに行き着くなと思う。


螺旋状に解像度は高まっていく

沖縄リトリートで思ったこと。これまでコーチングライフ内部向けにリトリートやってきたけど、今回は初の外部募集での開催だった。自分のリトリート感覚は、「何も決めずに場に委ねればいい時間になる、スケジュール決めてたら時間に縛られた日常と同じじゃん。」って思っていたのだけど、今回やってみる中で、内省の時間だったりリトリートに大切だと思う要素が欠けることが起きた。

やっぱりこれまではコーチングをベースに持っているメンバーだったからこそ、勝手に内省始めるし対話も始まるしで上手く行っていただけだったなと。今回のリトリートもみんな楽しんでくれていて大前提満足だし、もちろん自由な場を作るという基本は変わらないけど、大切な要素が必要なときは多少介入してでも作りに行っても良かったんだなって今では思う。

解像度が高まるとは、「〇〇考えている」と言うところから、「〇〇と考えている。△△と言う条件においては違うけど。」みたいに条件分けを細かくしていくことだったりするのかなって。これには知識や経験値が必要で、いろんな成功/失敗をしながら何周も螺旋階段のように解像度を上げていく感覚なんだな〜。人は誰しも自分なりの考えを持っていて、それを言葉だけ聞いてもどこまで深い洞察を持っているかはわからない。自分自身も今思っていることや考え方もこの先があると思って進んでいきたい。


結局日々大切に生きるが大事

最近コミュニティ内でメンバーが週一の振り返り会を開いてくれていてこれがめっちゃ良い。毎週1週間の点数をつけるんだけど、意外と毎回高くつけてる自分にびっくりして。あれやろうこれやろうと毎日生きてると、やってきたことは振り返って見ないし、できてないことばかりに目が向いてしまうけど、確実に前に進んでいるんだなって思えるの嬉しい。

同時に朝活もスタートして最近は何もない日は7時前に起きるようになって、やるべきことに集中できてる。大きな目でどうするか?とか計画するのは大事って思うけど、それ以上にその予定をしっかりやっていくことが大事of大事。地味でおもろくもないけど一つひとつ積み上げていくところは積み上げていきたい。


コーチというアイデンティティが僕を強くしてくれる

カズさんの対話コミュニティに入って3ヶ月。昔から1対1は得意な一方、集団の場って苦手意識あったけど、そこにある可能性や力強さも同時に知っていて、複数人を共有する場への関わりをもう一段高めていきたいと言う気持ちがあった。楽しく愉快な瞬間ばかりではなかったけど、大切な気づきがあった。

  • 感じたことを場に出す責任
    カズさんは自由に場を作っていた。話したくないなら話さなくていいし、介入したいと思ったらするって。多分本質的には自由にファシリテートする場が良いとなんとなく思うし、自分も好きなんだけど、あまりに解像度が低いので、どんな時自由でいていいのか/いけないのかなど自分の感覚を養っていかないと次にいけない気がする。なんとなく行き着く先は見えたけど、わかったふりしてそこに行っても結局うまくいかないことはわかっているので、今の自分はとりあえず感じたことがあれば場に積極的に介入していくフェイズなんだろうなって思う。そのうち自由さに向けて螺旋を登っていけると信じて今は勇気を出して関わるトライを繰り返したい。

  • 自分も影響を与えているということ
    対話会の最終回、「りょっちはコーチで対話のプロで自分は素人だから言葉を選ぶこともあった」なんて言葉をもらった。グループ内で最年少だったから自分はただの元気な若い人としか思われてなかったと思っていたのでびっくりした。どんな場であっても多かれ少なかれ場に影響は与えている。場にいるとき、他者が場に与える影響はたくさん見れるけど、自分という存在をすっぽり忘れがちだなって思った。感じたことを場に出す責任とも近いけど、自分もグループの一員であるという意識を抜いてはいけない。一緒に作っていく。

コーチングを中心に置く前の自分は、違和感があったり有事の時でも圧倒的に場を見守るタイプだったけども、コーチであるという自分に対する責任感が言いづらいことを場に出してみる、自分の気持ちを大切にするために場で自分を表現するといったことに誘ってくれる。今の自分は受け入れた上での話だけど、もっともっと素敵だなと思える自分になりたい。そんなピュアな向上心が芽生えていることが嬉しい。

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