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語学を話せるようになりたい人に告ぐ、たった一つの真実


カリカリカリカリ‥‥

耳をすませば、聞こえてくる。必死に語学を勉強している人たちの筆記音。本当にすごい!わざわざ母国語とは、かけ離れた言語を学ぼうとしているのですから。

実際に、わたしもそのように勉強しているうちの1人です。

ですが、机に座って問題集を解く、TOEICで高得点をとる。そのためだけに勉強して、はたして意味があるのでしょうか。

わたしは、最近そんなことに違和感を覚えています。

そして、今日それについて深く考えさせられる出来事がおこりました。


わたしは、家では勉強することができないたちなので、よくカフェで勉強をしています。よく行くカフェは、こじんまりとしていて、勉強するには、もってこいの場所です。(Wifiもとんでますし笑)

横長いテーブルに座って勉強をしているときでした。横に座っていた外国の男性のかたがわたしに話しかけてきたのです。

横に外国のかたがいるのは、気づいていました。なにより、わたしは英語に自信がありました。心のなかで、もしかしたら話しかけてくるんじゃないかと期待をふくらませていました。

そして、突然そのときはおとずれました。

少し焦りはしました。ですが、外国人との話をする経験は過去を振り返ってもそこそこあります。初対面の外国人でも余裕でいけるでしょ。と心のなかは、どこか余裕でした。

彼が話している内容を聞いていると、メールで友達に今自分がいる場所を伝えたかったそうでした。あたりの目印になるものを必死に探していては、友達に伝えいました。

しかし、友達には伝わらなかったようでした。そこで、外国のかたは看板に書いてある場所を伝えようとしたのです。

看板は、もちろん日本語で書かれていたので、なんて読むのか理解できてなさそうでした。

そこで、隣にいる僕にたずねてきたのでしょう。

内容は、バッチリ聞き取れたので、あとは伝えるだけだ。そう思って口を開いたときでした。

「…………………。」

数秒間の沈黙が流れました。

そうです。口から英語がでてこなかったのです。看板に書いてある内容を伝えるだけなのに、なぜでてこないんだ!

そして、やっと口から英語がでてきました。しかし、その口調はどこか弱々しく、自信がないように僕自身も感じていました。

外国のかたは、ありがとう、といって僕の伝えたないようを理解してくれたようでした。よかった伝わって。僕は、安心しました。

ですが、隣にすわっていた外人は、どうやらまだパソコンを動かして必死にその場所を調べている様子でした。

ああ、、伝わっていなかったのか。少し、落ち込みました。

何をしてるんですか?、さっきの内容わかりましたか?と自分から聞き返すこともできました。

しかし、わたしはそれをしませんでした。どうやって英語で表現すればいいのか。そればっかりを考えていたのです。

結局その男性は、席を立ち店をでていってしまいました。さりぎわに
『ありがとう』と言ってさって行きました。

その言葉を聞いたとき、心のなかがモヤでいっぱいになりました。ありがとうを言われるようなことは、何もしていない。むしろ、もっと助けになってあげればよかった。

後悔の連鎖があとをたちません。


TOEICでいいスコアをとったり、外国の人との交流があっても実際にその場で下手でも話そう!という勇気がなければ、意味がないんだなと感じました。

机でひたすら英語の勉強をすることは、確かに素晴らしいことです。TOEICでいいスコアをとることも大事です。

でも、初対面の外国人と話すとき、下手でもどうどうと英語で話そうとする人は、はたしてどのくらいいるのでしょうか。

相手が困っているときに、英語に自信がなくても話しかけようとする人こそ真に英語が話せる人だと言えるのではないでしょうか。

結局は、技量よりも気持ちが大切であるとこの体験をつうじて学ぶことができました。恥ずかしがってなにもしないことの方が、恥ずかしい。

今日の経験からそんなことを学びました。

これをみている人のなかにも将来英語が話せるようになたい人はいるとおもいます。でも、実際話すとなると自信が持てない。そういうことを考てしまうと思います。

ですが、一番大切なことは、「英語を口にだす勇気」だと僕は、思っています。

本当に英語を話したいと思うのなら、実際に外国人と話すことをまずやってみてはどうでしょうか。きっと、問題集を解くだけでは、学べない発見があると思います。


この内容が少しでも参考になれば、幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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