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「自己開示」の呪縛

わたしは昨年、八木さやちゃんの自分ビジネスに惹かれてアメブロを始めた。

ブログで「自己開示」

自分の本音を語ること、さらけ出す、明らめること。

最初はうまくできなくても自分の中で掘り下げる練習をすることで、本音に繋がることができる。

過去の自分が読みたいと思うことを書く。

そして自己開示できていればいるほど、アクセス数やいいねが増える。

なるほど…

そして始めてみた。

はじめはなかなか楽しかった。

文章を書くことは好きな方だし。

だけどいつも付き纏ってた。

“「自己開示」になってるんだろうかこれ”

そう思いながらも自分なりには考えを掘り下げたり、ちょっと勇気いることも書いてみたり。

4ヶ月ぽつぽつと続けたけど、疲れてしまってストップした。

どうしても掘り下げられない。

話がどうにもまとまらない。

自分でも何が言いたいのかわからなくなってくる。

過去の自分が読みたいかと考えると更に困る。

疲れるし悲しくなる。イライラもする。

そしてなんとかまとまったと思っても、アクセス数もいいねも特に伸びない。

「自己開示」できてないってことなのか…

“自分なりには”嘘なく書いたつもりだったし、本音としてはまだまだ表面的なのかもしれないけど、それでもなんか違うらしい…

「どうしたら自己開示できるんだろう?」

「自己開示ってなんなんだろう」

って思ったし、できてないなら尚更練習しなきゃいけないんじゃないの?って思ったりもした。

でもなんかもう本当にわからなくて、ムカついてきて、イライラしてきた。

すごくすごく嫌な気分になった。

だから、やめようと思います。

正しく「自己開示」しようとすることを。

わたしは本質的な自分の本音をキャッチできていないのかもしれない。

それでも何でもいいからアウトプットはしていきたい。

日々感じたことを嘘なく綴ることならできそう。

例えそれが「自己開示」になっていなかったとしても、もういいと。

アクセス数もいいねもたくさん欲しいけど、「自己開示」を意識するが故に、つい無理に深掘りしようとしたり、キャッチーさを意識したり、らしいことを書いてしまい、結果消耗するならやめよう。

それ以前に発信する回路を作っておきたい。

自分さえ気づいていない本音や、今気づいていながらも人目が気になったり恥ずかしくて書けないような思いや考えもあるけど、発信する回路がアクティブになっていれば、時が来ればそのうちそれらも吐き出されたり、語りたくなることもあるかもしれない。

だからもう、「自己開示」の呪縛を解除します。

正しい自己開示を求めることをやめよう。

今はただ、書きたいと思ったこと、今の自分が感じたことを嘘なく書く。

無理に掘り下げようとしない。

(もちろん掘り下げたかったらそうするけど)

そして、まだ見ぬ本音中の本音を掴むために、子宮周りの温めながら、本音が聴こえるのを待ちます。

本音と繋がり、それらをシンプルに発信できること、その喜びを知りたいという気持ちと承認欲求はそのまま持ちつつ。

ここに宣言!します。


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最近始めたProcesingによるGenerative Art作品を中心にアップしています。




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