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手放すことで、見える世界へ。

お祝いのお言葉、お気持ち、メッセージ。本当にありがとうございました。誕生日になると毎年欠かさずご連絡を下さる方もいらっしゃり、最近いつもお世話になっている方から、何年もお会いしていない方、中にはとんでもない方が僕のことを覚えててくださったなんて!なサプライズまで。お一人お一人からいただく「おめでとう」のメッセージに目を通すことで、あぁ、なんとありがたい人生を送らせてもらっているんだ、と、気づかさせてもらう。本当に、深く、感謝です。ありがとうございます。

HafHの利用者が集まるコミュニティから、こんなありがたいケーキまでいただきました😭
#HafH ができて、本当によかった…涙

この「ありがとう」の気持ちを、なかなか伝える時間が作れなくて。おめでとうのお気持ちを受け取りっぱなし。圧倒的Taker/圧倒的Giveの負債。あぁ、また与えられてばっかり、甘えてばっかり、少し情けない。

僕は優しさに甘えて、生きているんだ、と。また1年をかけてこのGIVEの負債を返すべく、GIVEし続ける所存です。30代最後、走っていきたいと思います。(怖)

家を、売りました。

間取りから作った31歳、早めのマイホーム。8年間、お世話になりました。

新しいステップを歩む上で、必要なのは、片手を空けることです。挑戦は「捨てるところ」から。パワポで間取りまで作り、風水までみてセミオーダーで建てた家と土地を売却しました。電通時代の、会社の恩恵を存分に活かして35年ローンを組み、オープンハウスに大変お世話になって建てた家。思い出がたくさん詰まっていますが、売ると決まってからはあっという間。1週間で売れてしまったんです。

ちなみにオープンハウスって色々評判があるみたいだけど、本当に何一つ、不満のない、最高の売主だった。最初に僕に営業をしてくれた若手女性から、最後までしっかりサポートしてくれた営業の方。セミオーダーのご担当から、契約関係のご担当の方まで、誰1人として不信を感じる人はいなかった。思い通りの家ができ、思い通りの暮らしができ、思っていた以上に価値のある物件として売れた。最初から最後まで完璧な相手でした。個人の感想あると思いますが、僕は本当にお世辞抜きにおすすめです。

元々、ご存知の通り「東京にほぼいない」一軒家の持ち腐れが続いていたここ最近だったわけですが、どうも昨今の不動産バブルに疑問を感じ、最近の災害の多さが不安でもあり、バブってるうちに手放すことにしてみたのですが、驚くほどうまく売れました(不動産を仲介してくれた友人に心から感謝)。売れるのには1年くらいかかるかなと思っていた/売値は色々厳しい交渉が生まれるだろうと思っていたので、こんなにもうまく売れるとは、後悔する暇もありませんでしたが、自分にとって、とても大きな断捨離です。

ルーフバルコニーも作って、ここでの仕事は最高だったし、いろんな人を呼んでご飯も食べた。

あまりに急に売れてしまったので、引っ越しや自分自身の心の準備もまだ整わず、一旦は、前の家の近くに賃貸です。が、思っていた以上に翼を授かった感がすごい。これから更に東京には足が遠のくような気がしています。コロナによる行動制限もここまで来れば落ち着きも見せ始めていますから、海外あたりに簡単にひとっ飛びしているかもしれません。

元々、家を買うと決めたのが2013年。小さな紙切れに「TOKYO」の文字が映し出され、世間が踊りに踊っていた時代でした。新築マンション建築ラッシュ。そんな時代の流れなど、つゆ知らず、買いに走った時には、良き物件は軒並み満枠という、劣勢での購入活動でした。どこに行っても「なんだか誰かより劣った買い物をしている気がする」のがどうも納得がいかない。そう思って、土地と戸建を探すことに決めました。

その時から「住宅ローン控除が続く10年で、住み続けるか、売るか、その選択肢が効く場所に住もう」とは決めていました。一生住む感覚は、元々なかった。売るという決断をした自分が今いることは、8年前の僕にしてみれば「やっぱりな」という感じ。予測できない未来、結局予測通りに自分が選択していることに、我ながら驚き半分、納得半分。

たくさんの思い出を作ってくださったゲストの皆さん全員に感謝です。ありがとうございました。

役職を、手放しました。

HafHの創業者であることは一生変わりません。

もう1つの断捨離。今期の第4回株主総会を7月28日開催しまして、HafHを運営する取締役/執行役員の職を離れることになりました。これで名実ともに、僕はHafHをつくった人ではあるけれど、その成長において責任を負わない立場になりました。経営者でもなんでもない、HafHを運営する会社の社員です。今更、雇用契約とか結び始めています。会社創立以来、雇用保険とかそういう話をしていて、新鮮です。

元々この会社は、同じく共同創業者である砂田が最初から「代表取締役」ですが、社長の任は僕が担っていました。紛らわしくも、そうやって代表の名前を二分することで、二人三脚で僕は表の顔、彼は裏の顔として、HafHを両極で走ってきたわけです。

HafHは長崎で産声をあげ、長崎ですくすくと育ちました。誕生当初から、多くの方にご注目をいただきましたが、その後もコロナ禍の「リモートワーク」「ワーケーション」の波にうまく乗り、会員数も増加。売上は、2022年4月時点の前年比で6倍の成長を見せました。JR西日本、JAL、PEACHといった大手交通事業者との提携の他、今年の4月は星野リゾートとの資本業務提携も発表。#旅のサブスク として「まだ4年目?!」と驚かれるほど、多くの方に関心を持っていただくにまで至りました。

一方で、HafHはまだまだ3歳児。多くの関心とご期待にお応えするには未熟な部分が多々あります。目指すべきビジョンからプロダクトを作っているので、世界がまだまだ追いついていません。僕たちが作りたいプロダクトの世界観と、世の中が今「旅」に求めている機能に未だ、大きなギャップがあります。このギャップを埋めていく作業に集中すべく、KabuK Styleはさらにテックカンパニーへ、選択と集中を進めていきます。

この選択と集中において、僕自身は経営陣から離れることになりました。僕自身が追い求めたい世界は、一旦KabuK Styleとしてではなく、会社の外で存分にチャレンジすることにしました。クラウドファンディングを立ち上げた当初から掲げている、世界と日本を「旅して働く」というキーワードで繋いでいく思いに僕も一直線に走りたいと思っています。

社内のマネジメントのリソースから離れることで、結果、HafHに新しい形で力になれると思っています。これも元々「5年経ったら経営陣から離れる選択肢」を、起業時から砂田と話をしていましたから、半年ちょい早い動きにはなりましたが、いわば予定通りの動きでもあります。ロケットが発射する時に必要な、スタートダッシュのパーツ役は、一旦これでお役御免です。

捨てたら見える世界。

五島列島へ錦の旗をの思いも変わらない

自由になる分「世界と日本を「旅して働く」というキーワードで繋いでいく」チャレンジに僕は進んでいきます。海外へ再度目を向け、HafH/KabuK Styleの中ではなかなか表現できていなかったことも、自分自身の活動としてチャレンジしていければと思っています。

また、長崎へのコントリビューションも、僕にとっては人生を賭けた生業です。長崎、五島、他、長崎を世界を旅して働く人たちにとってのパラダイスにしていくという思いも、引き続き、形にしていきたいと思っています。

これらの新しいチャレンジは、また来年あたりに向けて、少しずつご紹介できる予定です。今年は準備期間。ゆっくり、慌てず、形にしていきます。

35歳から40歳の5年間は、おそらく全力で走れる最後の5年間だったし、そして全力で走ってこれました。東奔西走してきたことを1つ1つ拾いなおし、1つ1つ積み重ねていく。もうここからは全力で走れてもすぐ息切れをするでしょう。走るのではなく、歩いて見つかる答えを、こぼさずに積み重ねていく10年にライフシフトしないと行けません。

これまでとは違う、僕が、また生まれそうな感じがしています。
少し、わがままになるかもしれません。断ることもあろうかと思います。ご容赦ください。

きっと僕だけじゃない、新しい時代の準備

ブレブレの世界だからこそ、自分だけはブレないように。

そして、奇しくも「次の時代」を迎えているのは僕だけじゃなく、世界そのものが、新しい方向へ進むスタート地点にいると感じています。新しい働き方。新しい旅のスタイル。これからの「暮らし方」は、まさに今、過渡期にあります。多分、僕らが生きている間、あと半世紀くらいはずっと「過渡期」って言われる感じになるくらいスケールの大きい話ではありますが「多様な」って言われているうちは、つまり「何でもあり」の時代が続くと思っています。

お金は、引き続きパワーを持ち続けるだろうし、お金じゃない価値経済はこれからもっと拡大していきます。仮想通貨は引き続き仮想の世界で価値を持ち続け、人々は今より自然との距離を再認識して近づいていくと思います。世界は良くも悪くも混沌として生き続けると思います。

僕はこの両方に右足、左足、ツッコみながら、踊り続けていきたいと思います。大事なのは、その突っ込むバランス、チューニングです。自分でチューニングする「つまみ」をしっかり握っておくことです。

流されず、自分で選ぶ感覚が自分の中にあるか。先行き不安です。お金がなくなるかもしれません。贅沢なんか、夢の世界に至るかもしれません。それでも幸せだと思える覚悟があるか。

ここからあと何年生きるのやら。ゴールは見えませんが、大切なのは、この世が終わる瞬間、笑顔かどうかだと思ってます。明日、この世の終わりが来たって、悔いのない人生へ。

見えなくなったら。
一緒に旅に行きましょう。

Enjoy your life journey!


Thank you for your support!