見出し画像

高野和明『踏切の幽霊』(文藝春秋)【読書メモ】

 割り箸を使って、一人もそもそと弁当を食べながら、松田は不思議に思う。人間に魂などないのなら、この世に漂う霊魂など信じないと言うのなら、故人の墓や遺影の前で頭を垂れる時、人は何に向かって語りかけているのか?

 一九九四年の終わり、元新聞記者で現在は女性誌の取材記者をしている松田は、下北沢の踏切で撮られた心霊写真を取材することになり、やがて知るそこで起こった事件に足を踏み入れていく。ということで本作は妻が死んだことをきっかけに、ぽっかりと心に穴の開いたような気持ちで日々を過ごす記者を主人公にした、ファンタジックな雰囲気の現代サスペンスです。ファンタジックな雰囲気、と書きましたが、内容はかなりシリアスで、悲惨の結末を辿るしかなかった人間のやるせなさが描かれています。ただ矮小な言葉のみに閉じ込められるしかなかった事件の悲しみを、主人公の松田が妻の死への思いを重ねながら、真相に近付き、没個性に見えかねなかったものに肉が付いていく様子が、とても面白かったです。

 ちなみに作品の帯にもあるように、高野和明の長編は、SF大作『ジェノサイド』以来、11年ぶり。当時大変に話題になった非常に柄の大きい傑作でした。本人の事情なのか、あるいはまったく別なのか、そういうことはまったく分かりませんが、一人の作家さんが沈黙を破って、作品を出す、というのは本当に喜ばしいことで、ぜひ今後も新たな高野作品が次々と世に出ることを祈りながら、この感想を終わりにしたい、と思います。