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実はnoterという言葉があまり好きじゃない。

 いや別に好きに呼んでくれて構わないのだけれど、どうも馴染めないなぁ、と思って。

 まぁそもそも、呼ばれたこと自体ほとんどないのだけれど……。

 誤解がないように言っておきますが、たとえば別のサイトを挙げて、どこが上で、どこが下、という話ではないですよ。

 これはnoterという言葉に限った話ではなく、カクヨマーでも、ノベルアッパーでも、エブリスターでもなんでもいいのですが(そんな呼び方があるのかは知りませんが)、同じ場所にいるだけで、やっていることや目指すところはみんな違うのに、それを大雑把にひとつに括って、〇〇のひととカテゴライズされると、〇〇はこうだ、〇〇のひとにはこうあって欲しい、とかそんな言葉が出た時に、全体に合わせて、個人の在り方まで変えろ、と言われているような気がして怖くなる時があります。別に自分の納得できることならいくらでも変えますけど、同じ場所にいる自分以外の全員が向いている方向と反対のほうを向きたい時はしっかりと向いていきたいのに、勝手に総意にされたくもないですよね。

 時に肩書きが本質を歪めてしまうかもしれません。

 もちろんそんなつもりがあって言っているわけじゃない、と分かっていますが、でも、どんな言葉も使い方次第、受け取り次第で、良くも悪くもなったりします。

 過去に使ったりしてみたこともありますが、どうも自分には合わないなぁ、って思って……。それはもしかしたら私が「note」に特別なものを抱いていないからなのかもしれません。こんなこと言うと嫌っているのか、と思われそうですが、全然嫌ってはいなくて、使いやすくて書きやすくて、とても好きですよ。

 ただ、

 私が誰かに連帯感を抱くのは、同じく書くひととしてだけであって、別にそれは「note」でなくても感じるでしょうし、「noter」同士だからこその繋がりなんて言うのも私には荷が重い。流れ着いてnoteという地にご厄介にはなっていて、感謝もしておりますが、私はまだまだ自由気儘に生きていたいので、戸籍までnoteに移す気にはなれないのです。

 住所不定。これからもふらふらとしていたい私には、あまり要らない肩書きかな、と。それに、なんか「noter」っていう語感もやけに小洒落た感じで、駄洒落好きの私の手に余る言葉だしね。

 何よりも私が、肩書きよりも本質、という言い方すると大仰な感じがするので……うーん……、どこで書いているかよりも何を書いているか、を大事にして欲しいからこそ、私も誰かの文章を読む時、どこで書いているかよりも何を書いているかを大事にしながら、つねに文章と向かい合いたいんです。

 なんか、まとまりのない文章になってしまったな……。