noteのこと
最近またぽつぽつと見はじめたのですが、結構長いこと意識的にtwitterやnoteの雑多に流れるタイムラインは見ないようにしていました。私はミュートって使わないんです。理由は、なんとなく、なんですけど。自分の世界からその存在を消してしまうことに罪悪感を抱くんですかね。だから私のタイムライン、特にtwitterはかなり雑多で、情報の奔流ってこういうこと言うんでしょうね。結構こう見えて(別に意外でもないか……)、影響受けやすいし、すぐに落ち込むんですね。最近は140字小説ばっかり書いているひとみたいになっているけど、いま長編を書いていて、その合間にちょうどいいな、と思っているうちに、やけに増えてしまいました。100本を目標にしているので、そこまでは続けたいな。
ちょっと話が逸れてきました。最近またタイムラインをちょっとずつ見ていると、「note辞めます」という趣旨の文章を、数件、目にしました。それぞれに色んな思いがあって言葉にすることで次に進みたい、と思ったのかもしれません。ここで誰かの事情に触れる気は一切ありません。それは語るべき人間が口にすることだと思うので。どんな事情であれ、色々な道をそれぞれが歩いていくのでしょう。
……それはそれとして、私はどうなのだろう、とふと考えてしまったわけですね。いま私の主な活動場所はノベルアップ+で、note用にだけ文章を書くこと、ってほとんどないわけですね。もしかしたら私と関わり合ったひとたちの中には、noteを辞めるひととして私を捉えているひともいるかもしれない。
でもこういうの、って私は自分自身の意識の問題なんだと思うんですね。本人に活動場所のひとつという想いがある限り、たとえ一年、あるいは十年書かずにいようが(それはさすがに言い過ぎか)、私にとっては、〈最近書いていない場所のひとつ〉に過ぎなくて、辞めるつもりはない。勝手に辞めさせるなよ~私が辞めたらnote墓場は草ぼうぼうになるぞ。また小説を書けば、ここにもきっと小説は載せる。ただ長編で各章を分けてリンクを貼ったりするの大変なので、長編を載せるには大変なサイトだ、と今年はじめ頃の長編連載の際に実感しました。
まぁでもお伝えしておきたい、と思っているのは、活動場所として頻繁に利用していないのも事実なので、以前の関わりがあるからフォロー外したいと思っているけど外せない、など思っている方などがいれば、それはtwitterやnote関係なく気軽に外して欲しいです。大丈夫、そっと外せば大概気付きませんし、気付いたらこっちもそっと外しておきますから。
逆もしかりで、どこに属しているかで相手への反応を変えよう、と思ったことも一度もないので、しりとりしたかったり、本の話でもしたかったらいつでもしましょう、という気持ちです。
本の話と言えば、最近ずっと買い集めて積読になっていたエラリー・クイーンの作品を読みはじめました。実はお恥ずかしい話、ミステリが好きと言いながら、これまで読んだことがなくて、今年はがっつり読もうと決めた次第です。積読……たまに死ぬまでにどの本を読んで、どの本を読まないのだろうか、と考えてしまいますね。
最後になりましたが、初めて私の文章を読む方がまずこの文章を読む可能性は低いと思いますが、私がどんな作品を書いているか紹介しましょう。
〈ミステリ〉
〈ホラー〉
〈青春〉