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雑記20220317 目に見えない批判者

 こんにちは。いくつかの投稿サイトをぐるぐるとしているサトウ・レンです。あっ、これ私のtwitterのプロフィールなんです。久し振りに、noteであれこれと考えたことを書こうかな、と思いまして。

 創作界隈には、目に見えない批判者、という者が存在します。この言葉は私がいま勝手に決めただけなので、本当にそんな言葉が創作界隈で使われているどうかは知りません。

 可視化されない批判者、目に見えるそれよりも、ずっと多いと思うんです。目に見えないならば、気にしてもしょうがないじゃないか。そんな声が返ってきそうです。まったくその通りです。その通りなのですが、時に、目に見えない彼らに、あなたの首が真綿で絞められる結果になるかもしれません。

 きょうはそんな話です。

 色々な創作サイトをぐるぐるしていますと、どこのサイトでも、見掛けてしまうものがあります。プラットフォームや人気者に対して、雑な憎しみをぶつける言葉です。それを偶然、何個か見て、うちのサイトだけ、いつもこんなに荒れている、なんて思わなくて大丈夫ですよ。量の違いはあるにせよ、数個くらいなら、そういうのは、どこにだってあります。たぶん。実際に全部のサイトを数え回ったわけではないのですが。

 もちろん私だって、誰かの、なんらかの言葉や行動に対して、それどうなの、と首を傾げたり、怒ったりすることはあります。批判が存在してはいけない、とは思いません。雑、という言葉だって、ひとによって曖昧で、今回はtwitterの140字で書くのは乱暴な内容と捉えられかねない、とnoteを選んだわけですが、これだって、ひとによっては雑に映るかもしれません。……と話が本題から逸れそうですね、戻します。

 ところで、創作サイトやSNSで、てっとりばやく、ある程度の評価を集める方法、って知ってますか? 正しい答えがあるなら、誰も苦労しないよ、という言葉が返ってきそうですが。異論はあるかもしれませんが、私は同じ憎しみを抱える相手にだけ刺さる、誰かや何かへの憎しみをぶつける文章だと思います。悲しい話ですが、そういう印象が、私にはあります。

 もちろんどういう動機で書くのかは、ひとによって違うでしょうし、評価のためではなく、義憤から書く場合もあるでしょう。ただすくなくとも評価や共感を得たい、という理由で書く時は、すくなくともある程度、書き方は考えたほうが良いかもしれません。

 どんなひどい放言でも、同じ憎しみを抱えている者は、それなりに同調や肯定をしてくれます。そしてそのことに対して、言葉にして批判するひとは、意外とすくないものです。例外もあると思いますが、やっぱり関わるのは、嫌ですからね。……で、肯定してくれるひとの言葉ばかりが目に入って、腫れ物のように扱われていると気付かず、自分は正しいと勘違いする。でもその言葉、目に見えない批判者のほうが、圧倒的多数かもしれませんよ。他人事のように言っていますが、誰にでも起こりうることで、私だって例外ではありません。もしかしたら私も気付かないうちに……と、自戒の意も込めているんです。

 でも、さっきの話に戻りますが、「目に見えないならば、気にしてもしょうがないじゃないか」という言葉があります。でもたまには、自分の文章を振り返って、目に見えない批判者について考えてみるのいいかもしれません。何も言わないから、といって、雑に扱ってしまうと、やがて……。

 かつて共感や肯定してくれたひとは、その言葉に同調したいだけの、別にあなたでなくても良かったひとたち、かもしれません。

 かつてあなたに何も言わず、心の中で批判していたひとたちは、今後別の作品や文章であなたを見掛けても、あなたを理由に敬遠してしまうかもしれません。

 時すでに遅し。気付けば、そうなっているかもしれません。私も、あるいは、あなたも。

 ほら、その首はまだ大丈夫ですか?