私より前にあったもの
まだ少年だった頃、自分がこの世界の主役だ、と思っていた節が、私にはあります。
別にそれはウルトラマンになりたいだとか、当時いつもテレビで見ていたウッチャンナンチャンみたいになりたいとか、そんな具体的な何かや誰かへの憧れではなく、もっと漠然とした、世界が自分を中心に回っているような感覚と言ったらいいでしょうか。
そんな私はある時期から、
自分が生まれるよりも前からあったかどうかを強く気にするようになりました。時間による変化か最近その感情が薄れつつもあるのですが、一時期はかなりその部分に執着を持っていたように思います。そして自分が生まれるより前にあったそれらに特に惹かれる傾向がありました。
まぁ実際にその惹かれたもの自体がとても良いものだった、ということで終わらせてしまっても構わないのですが、それだけで終わらせてしまっても面白くないので、すこし自分なりに、自分より以前からあったものに特別な興味を抱いた理由を探ってみることにしました。
ちなみにどんなものが私が生まれる前からあったか。
『舞姫』や『こころ』ですね……と、そんな冗談はさておいて、自分の生まれるすこし前のものを挙げると、
例えばちょうどさっき聴きたくなって聴いていた、
誰もが知る名曲、村下孝蔵「夢のつづき」ですね……えっ、知らない?
リンクを貼っていいものかどうか分からないので、購入するなりしてぜひ聴いてください~。おすすめです。
さらにちなみに映画だと「死霊のはらわたⅡ」や小説だと「十角館の殺人」辺りが私の生まれるより前に登場しています。ゆるやかな年齢非公表ですが、大体の年齢はそこから推測してもらえれば。
つまりこれらのものはこの世界に私という存在が無くても、確かに〈有った〉わけです。もし私が生まれるよりも過去が、〈本当に〉存在するのなら、という前提は付きますが。
私がこの世界の主役ならば、それはチョコが存在しない世界でのチョコケーキも存在しなければならないし、織田裕二のいない「踊る大捜査線」も存在しなければならない……「交渉人 真下正義」があるじゃん、とか言うのは無しで(笑) ここで大事なのは、元からあるものを省いたのではなく、最初から無かった、ということが大事なのです。
そう私はこの世界の主役ではないのです。だってこの世界は私が存在しなくても成り立つのですから。そう教えてくれたこれらの曲や物語は本当に尊いのです。
何故って?
私はこの世界の主役ではないけれど、私の人生の主役は間違いなく私なのですから。
この世界で主役を張れ、と言われたら、やっぱり気兼ねするじゃない。例えば世界を物語に置き換えてみましょう。「タイタニック」でディカプリオが上流階級の人たちに媚びへつらってたら嫌じゃない。出演時間も拘束されるし、ね。
この立ち位置なら、
たまに「こんな世界(外枠)のことなんか、知るか、ボケ」という感じで暴走やサボタージュもしながら、この世界における(端役の)自分ではなく、自分の人生における(主役の)自分を愛でやすいじゃない。ういやつ、ういやつ。
だからそこまで〈必要〉じゃない自分に気付かせてくれた、私より前にあったものたちは、どこまでも尊いのです。
……と無理やりこじつけてみました~(笑)