見出し画像

純粋のこわさについて。

純粋がこわい。ジャンルを問わず純粋が、こわい。

純粋なものはこわいというより胡散臭い。純粋を純粋に信じる人のこころがこわい。それが随所でひとを傷つけてきたであろう今適当に思い浮かぶ空想の歴史がこわい。でも、どこかではそういうのあったんじゃないか。ひとが思いつくことは実現可能だとどっかの漫画に描いてあったし。船の残骸がバラバラと大量に落ちてくるシーン。まあそれはどうでもいいのだけれど。

街に並ぶ胡散臭いビルの胡散臭いテナントには「純粋」と「天然」がよく似合う。純粋そうなジジババが吸い込まれていくのをよく見る。ジジババがそのあと楽しそうに身内友人に純粋を純粋に押し売りするのが見える。2週間後には胡散臭いテナントは消え去って、2週間後には「無垢」か何かがまた入る。なんでもいいけど、入れ代わり立ち代わり入ってくるそれは純粋なのな?というところに純粋に疑問は持たねえんだな、とは思う。

本物、という語についてもちょい前に疑念を書き連ねたけれど純粋はもっと質が悪い。基本ぐちゃぐちゃした世間を渡れば鬼の顔をした鬼ばかりで嫌になるのはわかる。そこで逃げ込んだ純粋は仏の顔をしたさらに化物じみた鬼だというオチ、なんだか辛くはないですか。ないですか。そうだよね。ないから「天然」「純粋」と称した商品は売れるんだよね。

(※ここまでは「純粋を信じるひとの心がこわい」の部分。後付。)

自分が関心のある日本酒も時折そういった領域に踏み込んでる感じの論にぶち当たることがあるけれど、そこは本当にやめたほうがいいのではと感じている。たとえばだけど、純米酒の「純」はアルコールその他諸々を添加した酒と区別されてますよー的な意味でのみ語られるべきだと思う。それ以上は一般的な意味ではオカルトだ。純粋をどのレベルで語るのかは知らないけれど、ひとの手が入った時点である程度は純粋ではない。つーか大抵大型機械めっちゃ使っとるし。少なくとも超純粋ではないよね。それなら田んぼに実った稲を放っておいて酒ができるのを祈りもしないでできたものが最高に純粋だと思うし。「人間も自然の一部である」という立場をとって、だから人間が酒をつくるのは自然が自然にはたらきかけるのと同じ、風が吹いてすすきが揺れるのと同じだ、機械もそんな人間がつくったものなんだから自然だ!とかまで言うなら少し真剣に聞くけども。哲学とかならそういう立場あるし。

(※これ上で言った「胡散臭い」の部分。後付)

ちょっと純粋から「本当」にも話題を広げますね。根が同じかはわからないんだけど…。

最近世間を賑わせたセックススキャンダルでも「本当の○○なら、〜だ。」という言明があった。こわいね。でもそういう思い込みって誰にでもあるよね。「(本当)社会人なら〜だ。」とかさ。「子どもを愛しているなら〜だ。」とか。浅薄な思い込みを一般化して相手を一方的に「道を外した!」みたいに言っちゃうのってなんなの。というかそういう思い込みがある層のひとたちの間で一般化できてしまうのってそれが定型文だからだよね。いつか誰かが言ってしまって広まってしまった考え方。とくに配慮もなく形骸化した慣用句。なんかそういうものに押しつぶされてしまうひとがいたら悲しいね。

(※これ上記2つとまた違う話かも。)

いやスンマセン。これ全部何を言ってるかよく分からないよね。だから書いた動機と経緯を最後に述べるね。

妻が「痛すぎるからはやく娘に卒乳してほしい」と悲痛な顔で言ってきたんですね。ほんとねえ、乳関連って基本何もしてあげられないから悔しかったり悲しかったりするんです。歯がゆいというか。娘が哺乳瓶で飲んでくれれば哺乳瓶洗ったりはできるんだけどね。飲んでくれないひとなのよ。娘氏は。

で、なんかそこから一足飛びで「ああきっと今まで乳関連でことで苦しんできたひといっぱいいるんだろうなあ…」って思って「うるさい姑とかご近所さんに『こどもは母乳で育てないとねぇ〜』とか言われて気にして痛いけど我慢して母乳で育て続けたひとってどれくらいいるんだろうなー」と思って「そういう純粋とか本物とか本当とか信じるやつなんなんだ!」という怒りにつながったわけですよね。

ん?

つながってねぇか。

そうですか。まあいいんです。早く飯に興味を持ってくれ、娘氏。母乳がいちごみるくになるその前に。(全然下ネタではないのに下ネタっぽいネ!)

※ちなみに写真は純粋にかわいい息子氏の二の腕です。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。