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しかめっちまった顔つきに

昨日のノートを読んでくれた皆さま、ありがとうございました。思いの外閲覧が伸びたのであの時の関係者のモヤモヤとか、ちょっぴりの苦々しさも成仏できたのではないかなと勝手に思ってます。はい。

苦さ喉元をすぎればあとに残るは教訓のみ、という含蓄が浅そうな今わたしがこしらえた言葉があります。本当にその通りで、フラッシュバックした苦々しさがまた新しい知見を持ってきてくれたような気がします。

第一に、Twitterの中でのいさかいはあくまでTwitterの中でのいさかいだということ。あれだけ大騒ぎしたけれど―そして当時は現実の職にも影響が及ぶのでは?と数日生きた心地がしなかったけど―今もまあ元気です。瓶を取り巻く混沌とした状況もTwitterでケンケンにガクガクにやるだけでは変わらんね、と感じました。(Twitterの引用リツイートやリプでそう感じました。深く。)あとは蔵元、酒販、飲食、消費者がそれぞれの問題意識に照らして行動するのみだと思います。

第二に、言論にはざっくりといって吟味・賛同・否定・プロレスなどなどの種類?ジャンル?がありそれを見極めないと必要ない精神的な負担がかかるということ。例えばですが、わたしが吟味のためにあげた文章に対して予期せぬ賛同や否定があったとしたらまあ別に反応してもしなくてもいいってことです。作家の川上未映子さんはエッセイの中で「すべてのものに感想を抱く必要がないと気づいたのは大きな発見(発明?)だった。」というようなことをおっしゃってますが、まさにその通りですね。プロレスは技量と度量とファンが必要なので、一般小市民であるわたしにはもとより不可能な芸事でした。今後ツイッタプロレスリングへの参戦予定はありません。最近ますます加速する傾向があるんですが、なんだろ、端的に言って物事そのものに興味があってなんか掘り下げたいときには賛成反対に興味がありません。というかそういう場合賛成反対は役に立ちません。自分の問題意識を理解した上で述べられたものしか役に立ちません。で、それはTwitterに顕著な字面脊髄反射的な言論ではほとんど不可能です。これは実感です。多くの方も似たようなことを言ってるのでたぶんあってます。

うん、再三ですがモヤモヤが成仏したことがなによりの成果です。それだけでいい。あとはいい酒を飲みましょう。一連の騒動、実に趣深く勉強になりました。起きてしまったことからは苦さと教訓を得たいものです。しかめっちまった顔つきに、今日も小雪は降りかからず。そろそろふれふれ雪やこんこ。それではまた明日。カンパイ。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。