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苛立っても仕方のないことなどに苛立つ自分を見つめる

とかく物事に苛立ちやすいので、子どもの頃からそれでいくつものトラブルに巻き込まれてきた。いや、巻き込んだ。けれどトラブルの真っ只中では確実に「巻き込まれた!」と思っていた気がする。なんて子どもじみているのだろう。いや、子どもなんだから子どもじみていて、いいのだけれどそれでも最近はほんの少しだけ変化があって、苛立っている自分とちょっと話ができるようになった。どうした、おい、なにに怒ってるんだよと頻繁に尋ねている。

フリが長すぎて嫌になってきた。(ここまでフリです。)

自分が変わらずに他人に何かを押し付ける人があまり好きではなくて、そういう人を見ると「お前変われよ!」と思って苛々してしまう。

自分が変わらずに他人に何かを押し付ける人があまり好きではなくて、そういう人を見ると「お前変われよ!」と思って苛々してしまう。

Oh...ブーメランブーメランブーメランブーメラン...

そう、こういう矛盾した苛立ちに気がつけるようになってより苛々するようになったのである。

いいのだけれどそれでも最近はほんの少しだけ変化があって、苛立っている自分とちょっと話ができるようになった。

そう、こういう矛盾した苛立ちに気がつけるようになってより苛々するようになったのである。

Oh...

進歩していない。それどころか悪化している。

これは一体どうしたことだ。苛立ちに気がついて分析した結果に苛立ちどうしようもできない自分に苛立っているとは!(煩わしい)

相手のあることですから?やっぱり自分の中で勝手に妄想みたいな怒りを抱えているとね、うん、こっちが壊れるわけです。だからちゃんと言ったほうがいいんだよね。苛立ったら。もちろん苛立ちをある程度セーブして伝えたほうがいいんだけれど、というかそれが美徳だとされているからそうするしかないのだけれど、だからこそ成り立つ「(言ってることはわかるけれど)言い方がね…。」という返答にまた苛立つわけだけれど。

以前のノートでも日常の大半を怒りで過ごしているって書いた。それの中身がこんな感じです。苛立ちの対象が何なのかはその時によって違う。けれどだいたい苛立ってる。きっとわたしは早死する。いや、早死してもいい気がする。とかいうと「家族が~」って言ってくる人がいる。うるせぇよ。知ってるよ。けれども嫌なんだ今は歳を取るのが。それにこれは生物的な歳の話じゃない。精神的な話だ。おじさんになりたくない。ああ、なんてことだ。今日の悪文加減はいつにもましてひどいじゃあないか。だって次の最後の一文を言うためだけにこんな要らない回り道をしたのだから。

ド保守の頭の固い善人のふりをしたおじさんが大嫌いでいっつも腹が立っています大体その手の人に苛立ってます。公私ともどもそういうひとと接したくない発する言葉も見たくない。それだけなんです。最後の一連だけで十分だったわ今日。頭の柔らかい子どもたちの傍でもう眠ろう。最近子どもたちに頭突きをされるのだけれどマジで痛い。硬いじゃねえか。うるせぇよ。精神的な話だよ!なんでおれこんなに怒ってるんだ~。

おやすみなさい。アディオス。


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