見出し画像

燃やせ燃やせ、マグロずし。

バイクを漕いでいる。と言っても屋外で、ではない。今日は雨だし。少し寒いし。ここは屋内で、なんか険しい顔をしたひとびとが運動をしている。サラリーマン川柳が何かで「痩せるために車を使ってジムへ行く」というような作品があったけど、ほとんどの人はそうなんだろう。そんなものも目にしていたから、「なんでわざわざ金払ってジム行くのよ。外走れよ。」とか思ってたけど、いざやってみるとこれが快適なのである。天候に左右されない。金払うとそれはそれでモチベーションにもつながる。割とすごいな、と思う。こりゃエニータイムなんとかが全国津々浦々増えていくわけである。

わたしが通っているここはジムがあったり体育館があったりとわりかし色々なのだが、その体育館の上階はランニング走路になっている。体育館の周りに「口」型の走路がある。ジムに入る前にウォーミングアップをそこでするひともいるようだ。上階は眺めが良さそうなのでちょっと登ってみたくなり、さっき走ってきた。おじさんおじいさんおばさんおばあさんその他年齢のよくわからないひとたちがランニングやウォーキングをしていた。ちなみにわたしもどちらかというと年齢のよくわからないひとたちの方に入る。実年齢をサバ読まず伝えると驚かれるタイプである。サバを読んでしまうと驚く前に嘘を疑われるタイプとも言える。

その走路で走っていると一階でバレーをやっている高校生の姿が見える。やたらと声を張っている。部活動の顧問は「スタバでMac」的な雰囲気でもちろん腕組みをして渋い顔をしている。自分も部活をしていた身であるのだが、まあなんと不思議な光景だろうと思う。うら若きかたがたが疲れるのに、ときに怒鳴られるのに、そして大抵の場合はなんというか部活は目に見える結果・成果としては程々な感じなのに精一杯やっている。なんと不思議。彼らが一番取り返しがつかない若さを燃やして声を張り上げる様は、多分心が弱ってるときなんかに見るとそれだけでこう、嫌な気持ちじゃないんだけど参ってしまうと思う。幸い実際わたしの心が弱っているときはそういうものを見ようとするのにも一大決心が必要だったから、目にしなかったけれど。

「(わたしを)見ているひとたちが、勇気が出るようにできる限り頑張りました。」というような理屈、というよりは慣用句があるのを思い出した。普段身体も頭もフル回転であるスポーツに文字通り命をかけているひとたちがそういう慣用句になんの気なしに与するのを見るとものすごく悲しくなる。多分八割くらいの方は本当はそういうのに興味はないんだと思う。テレビ、マイク、取材などのキーワードが形作る環境の文法がその対応を大正解だと引き出してしまうのだろう。

そういえば大学のとき、倫理学の教授から「東尋坊の『どりゃー!!!のおじさん』の話」を聞いた。東尋坊と言えば自殺、自死が多い場所だそうな。そこにあるときおじさんが現れた。「どりゃー!!!」と叫んでは海に飛び込んでいくそうだ。それを見た自死の志願者が、なぜかわからないけれど自死をやめて帰ることがあったらしい。一度や二度ではなく。その噂を聞いた警官がおじさんを表彰しようとしたそうな。しかしおじさんは断ってまた「どりゃー!!!」とはじめた、と。ま、これフィクションかもだけどね。そういうこともあるよな。

だるーくnoteを書きつつバイクを漕いでこんなことを言うのも何だけれど、身体も精神も可燃性で、燃えるのはよいことだといえるのかもしれない。けれど燃えた以上は燃え尽きるしかないし、その後そこに残るのは寂しさも感じられないくらいの灰なのである。と、思うよ。思う。しかしね、わたしがどんなに命を燃やしてもランニングマシンが「これがあなたの消費カロリー分の食品やで!」と差し出すのがマグロずしである、というこれはものすごい問題だと思うんだわ。ということで誰かが燃え尽きないように?世界を熱を奪って、燃えろよ脂肪。ばっちこい。へい!どりゃーーー!どりゃーーー!!!!あああああああ!!!!

はあああああぁぁい、今日もマグロずしでしたとさ。おしまい。ちなみに表紙の画像はかの高名な佐渡金山です!

(違うかー)

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。