ryoryo学基礎論7 - 利口に生きないなんて、阿呆だね〜〜
おまえは阿呆か?
阿呆ってなんだ?
まずは、利口ってなんだ?
利口であることとは、上手に生きられていることだ。
今の社会で言ったら、勉強や仕事をがんばって、富や名誉を得る(成功するなんて言われてる)ことだ。
それが上手に生きられている証拠で、みんな群がって賞賛とか、時には嫉妬する。
その上手に生きるって、誰が決めたんだ?
おまえに内面化されている成功は、おまえが決めた成功じゃない。
もしかしたら成功は、おまえに仕事を頑張ってもらって、その成果から甘い蜜を吸うために誰かが作り出した物語かもしれない。
しかも、その“誰か”なんてもういなくて、物語だけがみんなに盲目的に、そして強烈に支えられて、どんどん強固になっていってるだけかもしれない。
社会はおまえに自由に生きられたら都合が悪いようつくられている。
だから、生きていくためになくてはならない金でおまえの自由を奪っている。暮らしを人質に取られて、おまえは自由になれない。
おまえは本当は自由だ。どっかの誰かが決めたルールに盲目的に乗っかってやる必要なんてない。
でも、おまえもおれも、ルールの中でしか生きられない。ルール無用の社会は、人間に向いていないらしい。
じゃあ、新しいルールをつくろう。成功の概念も、なにもかも、自分でつくりだしてしまえ。
もう決まっているルールの中で上手に生きるのがいちばん利口なんだから、こんなことを考えることこそが、阿呆だ。
だからなんなんだ?
おまえの頭は、おまえらしく生きる方法を考えるためについている。
今の社会の価値観で、人生アガった気になるための最短ルートを考えるためについてるわけじゃない。アガるのは麻雀だけでいい(麻雀忍者)
でもただの阿呆の話は、誰も聞いてくれやしない。
だからおれもおまえも、「利口」で「成功した」阿呆になって、社会に一泡吹かせてやろう。
社会を阿呆だらけにして、人間に人間性を取り戻してやろう。
阿呆であれ!!!
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