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NEW GUNてどんな感じ〜vol.3〜

8/21 仕事を早くあがらせてもらって病院へ。

まあ、もう私多分乳ガンなんだよね。そう思いながら診察室の前で呼ばれるのを待つ。中から先生の声が聞こえた。

「誰か鯨井さんに電話した?」

ガンだった場合、電話することもあるんだなー。でも、先生この日の約束だったです。はい。会話の流れで、うっかりガンだと知る。

ひどい先生だなー、と思う方もいるかもしれない。実際ものすごくさばさばした方なので、私もこのときはちょっとー!と思った。が、その後私はこの先生のさばさばしていながらもきちんと話を聞いてくれたり、誰も気付かないことに気付いてくれたり、表面にはあまり出さない細やかさにものすごく助けられることになる。

というわけで、乳ガンです、とあらためて告知を受けた。

浸潤性乳ガンは乳管の中にガンが納まっているかいないかということなのだが、どうやら納まっていなかった。乳管を這うようにガンは広がっていっている。

大きさは2cmとなっているが、実際は2つの腫瘍はくっついていたようで、もう少し大きかったらしい。

リンパへの転移は現時点での検査では見つかっていないけれど、開いてみないと分からない。

この日、造影剤を入れてCTを撮ったのだけれど、それによると肺や肝臓への転移は無いらしかった。

そして、私の癌は初期段階ではなく、Ⅱaだった。


さて、手術のご相談。9/4が空いている。それを逃すと末まで空いていないとのこと。流石に命がかかっているので、4日で!と即答した。

全摘か温存か、これは今日決めなくて良いとのことだったが表面上の違い以外にも色々質問する。

まず温存なら入院は3日程度、全摘だと1週間くらい。

術後の治療はホルモン剤が効けば投与が始まる。これは毎日の服薬と3ヶ月に1回程度の注射。5年くらい。

効かなければ抗がん剤。これは1年くらい。

(ホルモン剤が効いても、抗がん剤との併用がある)

プラス温存にすると、放射線治療が毎日ある。


加えて、私自身の状態が温存出来る状態か、というと瀬戸際だった。

温存するためには乳首から2cm切除部分が離れていなくてはならない。これがまず微妙だった。エコーで見えている部分から推測するに見えない部分の細い管に癌が伸びていっている可能性が高かった。見えている部分が2cmくらい。先生も唸る。

全摘が現実的なんだろうなー、とぼんやり思った。毎日超音波通うとか現実的じゃないよなー。お金稼がなきゃだしなー。


次回は入院の説明は近所の総合病院である久我山病院にいってください、とのことで紹介状やらなんやら色々渡された。院長先生が久我山病院にもいっているから、そこで手術入院となるらしい。


帰り道、最初に旦那には連絡出来なかった。

友人であり、保険屋さんである友人に連絡をする。彼女もショックを受けているようだったが、私を落ち着かせるために、きわめて冷静に対応してくれた。

「私、保険て何入ってたー?ガン保険て入ってたっけ?入院だけだっけ?」

残念ながらガン保険には入っていなかった。入院保険には入っていた。彼女はまず会社に連絡して、高額医療の限度額の申請だの傷病手当だの色々あるだろうから、ちゃんと確認するように、会社員で良かったね!と心の底から言ってくれた。

私は保険屋さんが友人で良かったなーと思っていた。他人だったらなんだか疑ったりしてしまったかもしれない。表面的に事務的に何かをやり遂げる状況ではないのに気持ちを押し殺さなくてはいけなかったかもしれない。一緒に考えてくれる人が保険屋さんで本当に良かった。


そして気を取り直して、会社に電話する。今ある情報を淡々と話そうと努力する。なんだかものすごい体力だった。

旦那に連絡する。

仲の良い友達に連絡をする。

友達が乳ガンになった友人を紹介してくれた。一度会ったことのある私も知っている人だった。その夜彼女は電話をくれた。


”ガン”という言葉にやられるよねー。

そう、そうなの!頭では分かっていても、その衝撃に負けそうになるの!


そういうことを経験した人の口から聞くのはもう全然違う。彼女は抗ガン剤治療も終わり、髪も生えて来て、最近地毛デビューもしたと言う。抗ガン剤の副作用、仕事はどうしていたか、どんな変化があるのか、などなど。

治るんだ…

その事実が、ものすごく前向きにしてくれた。

息子には言いたくない、という話を聞いてもらった時に、後から分かった方がショックなんじゃないかと言ってもらった。家族なんだから、一緒にがんばれた方がいいと。

それで、息子に話そうと決意した。


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