RYOHEI_がスケッチを共有しました_3

これ読んだら両親心配するかもな

悟りの時間がやってまいりました。
今から僕の頭の中にあるぐちゃぐちゃな言葉たちで紡がれる物語を話していきます。

みなさんにとって「自分らしさ」ってなんすか?

僕、小学校の頃に担任の先生から

「いつも周りに友達がたくさんいてみんなから頼りにされてます!
私たち教員も大変助かってます」

なーんて素敵な言葉を家庭訪問でかけてもらってました。
そう、そのころは自分でも友達は多かった気がする

そして中学校。
僕は生徒会役員になった。生徒会役員のメンバーと楽しく活動をし、恋バナをし、たくさん遊んだ。野球部でもメンバーに恵まれ楽しかった。

褒められることが多くて順風満帆な学校生活を送れていたのだ。
学力もそこそこで勉強を教えたりもしてて、なんなら優越感さえあった。
だからこそいろんな人との関わることも自信を持ってできていた。

ここから自分でもおかしい、うまくいかないって人生が始まるなんて自分では想像してもなかった

高校生になった。
1年生の頃は中学の頃の自信もあり、みんなと積極的に話して友達もたくさんできて、野球部に入ってまた新しい仲間ができて楽しかった。

高校2年生の頃のことである。
学力もまだそこそこよくて、文系の選抜クラスに入った。女子が8割を占める。男子が2割。
ここらへんからうまくいかなくなってくる人生。

僕はもともと性格が女の子寄りらしい。
だからかわからないが、女子の方が話が合う。
下ネタとかより、相談を受けたり、真面目に将来のこととかを長々と話すのが好きなのである。

女子と話す機会の多かった高校2年生。変にクソ真面目で空気が読めない。
今思えば嫌われて当然である。そう、ちっちゃなアンチ組織が生まれた。
その組織は同じクラスの男子大半が所属していたという。

居心地が死ぬほど悪かった。
このようなことは生まれて初めてだったからかなりショックを受けていたのを覚えている。周りから距離を置かれているのに気づき、僕はその日からほとんど毎日1人で弁当を食べていた。

その辺りから自分が浮いていることを気にするようになって、野球部のキャプテンをしていたのだが、注意をしたり、指示を出すことに対して自信を持つことができなかった。自分が考えてることは間違っていないと思いながらも。

高校3年生になると勉強とかでクラスが一致団結して受験勉強に移る時期だったため、自分も周りの子達と高め合いながら仲良くできてたと思う。
高3で環境が変わって救われた。

大学生活が始まる。

変に意識が高くて、周りから遠い目で見られて、浮いていたことに気付かされた高校時代。このままだったらやばい。

大学生活で最初に僕がしようとした行動、それは。。。

数人で固まってずっと仲良くできる集団に入れるようにしよう!

小中時代の自信を持っていた自分が培ってきたコミュニケーション能力を生かしてどんどん仲間を増やして集団の中に所属できた。みんなと飲み会、カラオケオール。最高に楽しんでいた。
自分で飲み会をたくさん企画して、「学部の飲み会幹事」なんて呼ばれたりもしていた。

なんか違かったらしい

あることをきっかけにグループが分裂した。とても楽しいグループだった。
しかしそれを分裂をきっかけに僕は周りに合わせている自分に気づき疲れた。学校で1人で講義を受け、講義が終われば1人で教室を出て、家に帰り、バイトに行く。

最初は死ぬほど寂しかった。
学校を辞めてしまおうかなと思った。
自業自得だとわかっていながら。

だが、自分が居心地のいいと思える人たちはいた。
そんな人たちとたまに考えを共有したり、飲んだり、それが救いだった。
本当にありがとう

ある日

学部で課されているインターンシップに行ってた時である。
1ヶ月本当にしんどいインターンだった。いっぱい悩んだ。
しかし今思えばすごい収穫が一つあったのだ。
限界集落と言わんばかりの本当に山と畑しかないような場所にいる1人の方と
夕方の4時ごろから深夜0時ごろまで飲みまくった。

その方は刺青(イレズミ)を入れ、ヒゲをめちゃくちゃ生やして
多分大半の方の第一印象は悪いだろう。
あんまり具体的にどんなことを話してないが、次のようなことを言っていたのを記憶している。

自分がこうやってヒゲを伸ばして刺青入れてるのは子供にこんな変な奴もいるんだから、どんな生き方をしてもいいんだぞって示したいからなんだ

僕はこの人をかっこいいと思った。

気づいたらYouTuberに

僕はその人の言葉で

この世界に無駄な人なんて絶対いない
それぞれに生き方があるんだから、結局自分の人生なんだ

そう思った。

僕はそこから吹っ切れた。
もともと浮く人間に生まれたんだったらとことん浮いてやろう
1人だとしても、自分で今俺めっちゃおもろいことしてるって思える人生送ろう。そう思い始めたのだ。

そしてその頃僕はYouTubeをよく見ていた。
何にも考えずにただただ見て笑っていたYouTubeだ。
しかし、吹っ切れた俺にはその人たちがいつもとは違って見えたのだ。

この人たちこそ「自分の人生を生きてる」の体現じゃん

自分たちが面白いと思ったことやって、お金を稼ぐ。
その結果何も考えずに楽しめるって思える人たちを生み出している。
ものすごくかっこいいなと思った。

憧れて始めちゃったのが今のチャンネルなのだ。

今も頭ぐちゃぐちゃ

吹っ切れたとか言いながらも毎日自分の生き方については悩む。
就職するってなったらまた周りに合わせなきゃなんだよなーとか、まだ親の反対とかを怖がって変な人生を突っ走れてないなーとか。

でも他人と比べることは本当になくなってきた。
だれになんと言われようとも自分の人生。

よく聞く「他人に期待するな」って言葉。
だれが考えたんやろ。本当にすごいと思う。
言った人がどんなストーリーがあって、どういう意味で他人に期待しないなんて言ったかはわからんし、これを聞いた人の解釈も人それぞれやと思う。
マイナスに捉える人の方が多いような気がするけど。
他人に期待して他人から何にも返ってこなかったら自分が傷つくからーとか。

でも俺は違う。ポジティブに期待してない。
だってみんな自分の人生を生きた方がおもろいよなーって思ってるから。
自分も自分が楽しいと思える人生に進める道を選択する。そこに他の人が協力してくれたらラッキーやけどそんな価値観一緒な人おらんし。

自分がこれやったら自分もっと変におもろくなるんかなって思って、その行動がYouTuberみたいに誰かの何かになれたらそれは最高にラッキーなことやと思う。

だから他人に期待はしない。
でもね、自分友達少ないって言ったけど、信頼できる友達は期待はせずとも信頼はめっちゃしてる。
おもろい人生ってどっちなんやって思った時は相談するし、協力してほしいことはお願いする。それができる人がいるってすごいことやなって改めて思う。信頼できる君へ、本当にいつもありがとう。

なんか勢いで書いてしまったけど、もともと友達が多かった時期も今も自分は好きになれる性格ではない。でも昔より吹っ切れた自分が好き。
今、自分の人生を生きようと、たくさん迷ってる自分は、周りに合わせてカッコつけてる自分より明らかかっこいいと思えるから。

僕多様性っていう言葉が好きなんです。
いろんな価値観を持つ人がいて当たり前だと思ってます。
だから人生、正解も間違いもないかなって思ってる。
多様性が大事って言ってるわけではなく、多様性が大事って思う人もいてOK、多様性が大事じゃないって思ってる人がいてもOKということです。
それが多様性なんじゃないかなって思ってる。

なんか最後かっこいい感じでまとめてみた。
よくわからんと思うけど最後まで読んでくれてありがとう。

家族のみんなへ
僕はちゃんと生きています

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