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読書感想文的な21『八月の銀の雪』伊与原 新

不愛想で手際が悪い―。コンビニのベトナム人店員グエンが、就活連敗中の理系大学生、堀川に見せた驚きの真の姿。(『八月の銀の雪』)。子育てに自信をもてないシングルマザーが、博物館勤めの女性に聞いた深海の話。深い海の底で泳ぐ鯨に想いを馳せて…。(『海へ還る日』)。原発の下請け会社を辞め、心赴くまま一人旅をしていた辰朗は、茨城の海岸で凧揚げをする初老の男に出会う。男の父親が太平洋戦争で果たした役目とは。(『十万年の西風』)。科学の揺るぎない真実が、人知れず傷ついた心に希望の灯りをともす全5篇。

ようやく読めた。
本屋大賞2021ノミネート作品。

絶望、とまでは言えない、日常を送るのに支障はないけど、でもなんとなくもやもやする気持ちとか、具体的にどの時点の何が間違っていたのか、正しい選択はどれだったのか分からないけど、漠然と感じる失敗したな、という気持ち。
誰もがみんな上手くいっている訳なんてないことは分かってるけど、自分だけが取り残されてるような気持ち。

そういう、なんだかどうにも塵が積もりまくりまして、果たして元のまっさらな状態に戻ることができるんでしょうかねっていう漠然とした不安みたいなのに、ちょっとだけ希望をくれるような5編。

自然科学を題材にしていると読書メーターで見かけたけど、全然難しくなかった。自然科学とこういう出会い方をしたら、勉強にももっと興味が持てるのかもしれないなと思った。


地球のコアについてとか。「そういうもの」と教えられたけど、その発見までには、あたりまえだけど過程がある訳で。その過程、研究者のストーリーを知ることで深まる興味があるし、その時点では役に立たないかもしれないけど、後々自分や誰かを勇気づけることができる知識になるのかもなぁと思うなどした。
もちろんこの主人公の希望になったから、そういうこともあるんかねと思ったという浅はかさだけども。
自分たちが住む地球の中に興味を持たないのは不思議っていう言葉は、自分自身の中身についてよく知らないまま、よく考えないまま、ちゃんと向き合わないなんてもったいないと言われてる気がした。


クジラの世界はこの前読んだ本を思い出した。もしやクジラめちゃくちゃ頭いいのでは説、こんな考え方もあるのね。わたしたちのものさしで測る「頭の良さ」って、わたしたちにしか意味がないのかも。お母さんちょっとうじうじしててイヤだなって思ったけど、ちゃんと娘への愛があって素敵だった。わたしたぶん、「わたしは何も持ってない側に生まれてしまった。いいほうには当たらなかった」って思ってる人は好きじゃないんだなと改めて思った。笑
なぜならわたしはめちゃくちゃ幸運だなぁと思って生きてるから。それが事実かどうかより、そう思えることが最高。


ハトの帰巣本能。これもまた「知っている」ことではあるけど、ハトから見る世界を想像したことはなかった。伝書鳩ってほんとにいたんだなぁくらいだったけど、ちゃんと帰ってくるという事実にきっと救われることがあるだろうな。
帰巣本能というくらいだから、べつに家に帰りたいという健気な気持ちじゃないんだろうけど、ひたむきに家に向かって飛ぶ姿を想像すると、目標に向かってひたすら邁進してるような気がして応援したくなる。こういう勝手な想像で、勝手に元気をもらえるのって人間のすごいとこだよねぇ。笑


珪藻アートは全然知らなくて、これ読んで調べてびっくりした。珪藻って理科の授業で見たやつだよね…?
なんか物語の本旨とはちがうけど、珪藻アートの本物絶対見たい!顕微鏡で見たい!
瞳子のさばさば生きてる風を装う処世術、すごくよく分かる。そうやって毎日をやり過ごす時期ってみんなにあるのかな。本当に強いんじゃないから、たまにどうしていいか分からなくなるときがある。上手に逃げられないときがある。そういう部分を理解して愛してほしいとはまだ思えない。いつか思うのかね。ずっと思わない気がするな。


最後の、凧と気象観測と気球と戦争と原発の話はなんかどう処理すべき感情かまだよく分からない。物事って複雑なのね…ってなったというかなんというか。。清濁あわせ飲んだ大人と、今まさにその局面を迎えている大人の話?
なんかわたしの生活からは遠いけど今現在解決してなくて、これからも解決する見込みが薄い、現実世界の事実が絡むと複雑な気持ちになるのかもしれない。
結局は自分がどう受け止めるか、どう向き合うか、どう進むか決めるしかないんだってわかるけど、簡単に結論出せないよね。


全編を通して、地球とか自然とかべつに人間のための存在ではないのに、(ないからこそ?)わたしたちは勝手に理由とかを見つけた気になって元気になったり落ち込んだりするのかもしれないなぁと思った。
銀の雪はわたしの存在がなくても降るし、人間が聞いていなくてもクジラは歌うし、鳩は家がなくなってもその場所に帰ろうとするし、珪藻は人間に観察されなくても美しい模様を持つし、偏西風も地球が回れば吹く。
自分がちっぽけだと実感することは、大きな救いになったりするのかも。
小さいわたしの悩みも、これまた小さいね、って。
その小さい世界で自分に向き合って悩んだりする姿も、もしかしたらクジラとか鳩とか宇宙人とかから見たら意味わかんなくて滑稽なのかも。

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