宮地達男 クロニクル


宮島達男 クロニクル を観覧してきたので感想を書く。

作者の用いる表現手段であるデジタル数字の世界であった。インスタレーション、作品、いろいろあったが、以下のことが総じていえると感じ、そこからどう意味を自分で認識できるかが個人的なポイントになると感じた。
デジタル数字というモチーフはそれだけに意味を見出すことが難しいと感じるが、作者としてデジタル数字に見出すテーマとして、『1~9の表示の繰り返し、また0を表示しないことで、生と死の循環や無限性を表現している』という解説があった。象徴としてのデジタル数字であり、他のモノと同一になって作品となっていると感じたので、俺はデジタル数字が乗っかっている媒体、デジタル数字の変化、デジタル数字の色や光り方、このあたりに注目して作品を観覧した。

『CounterSkinOfFaces』『CounterVoiceInWine』
最初の展示『CounterSkinOfFaces』は、顔にデジタル数字をペイントしてある参加者がこちらを向いている肖像の映像。3mはありそうな巨大なパネルで展示されていた。デジタル数字はカウントダウンされていくが、0表示は塗りつぶしになっており、また9に戻っていく。数字のほかに動くものは各参加者の口元や肩で、ひゅうひゅうという呼吸音だけがこだましている。生きている音だ。呼吸をして生きていく。変化するというテーマを前面にペイントされていることが、生きるということを一層ありありと感じさせた。
かたや、次の『CounterVoiceInWine』は白いシャツを着た3人の人の前におおきなボウルがあって、赤ワインがなみなみと注がれる。3人はそれぞれ英語、フランス語、スペイン語で9から1まで数え、0のところでボウルに顔を浸す。これを繰り返していくという映像の展示。
一瞬溺れるわけで、目にアルコールが入ったりもするだろうし、参加者はだんだん苦しそうな表情、息遣いになっていく、と思ったら、急に穏やかになったりもする。数字を小さくしていくのは生から死へのカウントダウン、という意味と捉えると、一瞬の仮死状態としての着水なのかもしれない。キリストの地である赤ワインから循環して、また9に戻ってきたとき、参加者は苦しそうだったり、晴れ晴れとしていたりする。カウントダウンも、苦しそうで早口になったり、かと思えばゆっくりとになったりする。死という状況をわかりやすく表現し、そこから平易ではないにせよ還って来る者たちの循環、というテーマが感じられた。
両方の展示とも、横一列ではなく観覧者を取り囲むように配置されており、循環する生と死だけが表現されている、冥界とでも呼ぶべき世界に没入させられた。

『CounterSkin』たち
最初の展示で顔にペイントされている参加者を見ると、意味以前の印象として、お面をつけられているような、主従のような素直な印象があったことは否めない。
この一連の展示では、顔だけでなく、腹部や手足にデジタル数字のペイントが施されている。解説にあった内容と別の話になるけれど、これを見たときの印象として、今まで(作品のために)デジタル数字のペイントを「させられている」「課されている」という印象だったのが一転した。「循環」「永遠」といったテーマを内包するデジタル数字が、いろんな人のいろんな部位に施されていて、それは生きるためのおまもりのようなものという印象を得た。
デジタル数字があらわしている所である「循環」「永遠」といったものによって、人々の人生は祝福されているのだと思った。もちろんいつか儚く死んでいくわけだけど、「循環」「永遠」といった「死」と対極のイメージは、私たちの人生に慈愛を与えてくれる。その祝福を象徴しているような気がした。自分がペイントされているわけではないけれど、世界のいろんなところにいる人に発生する文様として、人類への祝福というイメージが湧いた。そうすると、直接ではないにせよ自分もその祝福に庇護されていて、それが暖かかった。

『C.T.C.S.FlowerDanceNo.4』
大きな展示室に入って左手手前。
小さなデジタル数字がいくつかバラバラに刻まれた大きめの正方形の鏡が9つ、3×3に配置されている。デジタル数字は赤く光り、それぞれの速さで1~9と変化している。また、鏡はそれぞれ微妙に角度が違っており、1枚の大きな鏡と捉えることはできなかった。
作者のテーマの1つに「変化し続けること」というのがあるようだ。それはデジタル数字という媒体を通し表現されているわけだが、鏡をみていると、その奥に自分がいることに気づく。その周りでデジタル数字が躍っているのを見ると、お前の周りが刻々と変化しているんだよ、気づいているか?と問いかけられているように感じられた。それにたじろいでジリ、と動くと、隣の鏡に自分が写ると思いきや、角度が違うので写ったり写らなかったり、予期しない動きをする。いろいろ自分がいるようだった。自分はここにいる俺一人しかいないじゃないか、とも思うんだけれど、誰がどこから見ているかによって、同じ時間の中でも自分と言うものは異なっているし、その見方も変化していることを表現しているのかとおもった。

『InnumerableLife/BuddhaMMD-03』『C.F.lifestructurism-no.18』
同じ展示室で小さな赤いデジタル数字が密集している作品、白い小さなデジタル数字が細いワイヤの上に配置されている展示とあった。
解説文に書いてあるが、前者は生命の赤い輝きを表現し、タイトルのBuddhaというのは仏教と言うことではなく内なる性質として人はみな仏のようにあれる性質を内包しているというテーマのようだった。この作品はLEDが敷き詰められてるからかとにかくまぶしくて、じっと見ていることはできないけれど、それが生命と言うものを象徴しているのかなと思った。後者は一転して、今までになかった白い光、それがか細いワイヤの上に整列して載っている。9.11テロに関する作品と書いてあった。か細いワイヤ、エネルギーを感じさせないデジタル数字の光、この素材たちが変化する方向の象徴として脆さや崩壊と言った帰結が分かりやすいと思った。

『Diamond in You』
そのとなりくらい、鏡の三角錐がランダムに組み合わさって立体的になっているオブジェに、ちりばめられている色とりどりのデジタル数字。合わせ鏡の中で色々反射していて、今までの平面的な作品にはない奥行きか主張する作品だった。鏡の山と光だけだったら、きれいだな、で終わっていたと思うけれど、変化し続ける、永遠に続く、という象徴をとしてのデジタル数字が光っていると、心は進化するよもっともっとと言われているようで、そのタイトルがDiamondというのは、生きるということをとても勇気づけるなと思った。

『地の天』
宇宙的な世界観のなかで、暗闇の地面に青白く光るデジタル数字。フロアの一室全体を使った大きな展示と言うこともあり、おおきななにかに包まれる感じがした。今回用いられているデジタル数字は、おおきな世界の中で生きる個人なのではないかという印象を持った。変化し続けるというのは人間そのものだとおもうから。おおきなせかいに産み落とされた人間たちが、それぞれの変化である人生を生き、時に関係する。死ぬ=0表示時の無点灯のあとにも、新しくまた光りはじめる(=循環の中で転生する、新しい生命が生まれる)ことで、永遠に続いていく。最初に提示されていたテーマがすべて凝縮されている作品だと思った。

・柿の木プロジェクトについて
被爆した柿の木の2世を植樹するプロジェクト。
直接戦争を経験していないけれど、目の前にこの柿の木の苗があれば、それはかなり戦争と言うもののリアリティをもたらしてくれると思う。
全国、また世界各地の子供たちを巻き込んだプロジェクトだったようだ。修学旅行で沖縄に行って、戦時の洞窟とかの見学もしたけれど、自分がその子供だった時分、そういうものを伝えていくことの尊さ大切さなんて、これっぽっちも考えなかったなあ。自分の周りの友達も考えていたようには見えなかった。俺たちにはもっと考えなきゃいけないことがあった。今から振り返れば、自分の人生、目の前のことだけしか見えていなかったけれど、当時はをれが世界のすべてだったからね。
もちろん、大人になって今日みたいに展示を見て思い出すために見ているのかもしれないし、そうだとしたら(そうだとしなくても)とても価値のある経験だったとは思っている。けれど、高校生の時の気分をかすかにまだ覚えている今、もっと有効な伝え方の手段があったはずじゃないかなと思ったりもするのだ。
それまでのデジタル数字がカウントダウンだったのに対して、柿の木のオブジェに埋め込まれているカウンターははじめてカウントアップになっていて、偶然かもしれないけれどそこも面白いと思った。


さて、
印象をだーっと書いたけれど、こんなところかな。俺は芸術作品や現代芸術に全く明るくないので、意味を認識することが難解な作品も多かった。
コラボレーションの展示や、貨幣や楽譜や着物にデジタル数字を施す展示、『HITEN』、もっと考えて感じていたかったなあ(時間的な都合で断念…)。

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