都内社会人男のぼやき#3「本当に帰りたい場所はどこ?」

帰りたい。あー帰りたい。仕事が終わり、家に帰宅してソファに横になりながら、ふとそんなことを考える。

既に家に帰ってきており、これ以上どこへ帰ろうと言うのか。現時点において物理的に帰る場所などもはや存在しないのに不思議と「帰りたい」とふと考えてしまうのだ。

この現象に陥ることは今に始まった話ではない。大学時代から、漠然と「帰りたい」と考えるようになった。この現象に陥る際には共通点がある。

それはシンプルな答えで、心が疲れているのである。しんどいと感じているのである。心が充実していれば、こんな意味わからないことは恐らく考えない。


では、僕はどこに帰りたいのだろうか?


真面目に考えてみた。

・恋にうつつを抜かしていたあの頃
・自分の好きなものに対して、純粋に心から楽しいと思いながら向き合っていたあの頃
・好きな時間に寝て、起きていたあの頃
・毎日、辛い練習に耐えながら部活に真面目に取り組んでいたあの頃
・友達とくだらない時間を過ごしていたあの頃


思い浮かぶのは、かつて自分の中で確実に存在していた、在りし日の思い出たちである。
またか?また、過去の良かったことだけ思い出して勝手に感傷に浸っているのか?
もううんざりだ。現在ある状況から目を逸らして、過去に目を向けて現実逃避するのはもう流石にやめたい。 

ライトノベル作品「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」に登場する高校教師「平塚静」も、主人公である「比企谷八幡」に言っていたじゃないか。

「君たちにとっては、今この時間がすべてのように感じるだろう。だが、けしてそんなことはない。どこかで帳尻は合わせられる。世界はそういうふうに出来ている。〜 この時間がすべてじゃない。……でも、今しかできないこと、ここにしかないものもある。今だよ、比企谷。……今なんだ」


この平塚先生の台詞は、まさに「帰りたい」と無意識に考えてしまった時に、思い出すようにしている。
このセリフを心の中で繰り返し、精神を落ち着かせる。過去の経験から、うだうだ在りし日の思い出に浸っていたところで、そこからは何も生まれず時間が残酷に過ぎるだけだ。

今にしか確実にできないことがあって、ここにしかないものが確かに存在している。その尊さに気づくのはいつだって、「今」じゃない時間だ。

うだうだ言う前にシャワー浴びて、気持ちをリセットさせるのが一番手っ取り早い。


インターネットで調べてみたら、家にいるのに「帰りたい」と思う人が、結構いることに気づいた。

・仕事をプライベート空間に持ち込んでいる
・仕事のことで先の不安に怯える
・ホルモンの分泌量をはじめとした生体機能が1日の時間の中で変動する「日内変動」も影響している
・家が「個人的居場所(他人との関わりを断ち、自分を取り戻せる空間)」としての機能を果たしていない


これらが「帰りたい」と思わせてしまうおおよその原因らしい。

なるほど。確かに、当てはまる部分も非常に大きい。
最近では休日に通勤経路を歩くだけで仕事のことを軽く思い出してしまう。
その時は怖くなって、普段と違う道から最寄りの駅まで向かったけれど。

着々とプライベート空間が仕事に侵されている気がする。これは良くない。プライベート空間を取り戻さなければ。

そして、最近仕事に行くことが生活の全てになっている。
逆に新卒社会人だった4月の頃の自分の方が、「公的空間」と「私的空間」を上手く分別できていたような気がする。

この記事を書きながら、アホくさと思い始めている。なーに仕事に全てを捧げとんねん。と、自分にツッコミを入れたくなり始めている。

「仕事」から「自分」を取り戻さなければならない。
別に特別なことをしなくてもいい。
帰り道に、自販機の缶コーヒーのボタンを押すだけでいいのだ。それがスイッチの切り替えになる。"自由"への切符をそこで購入するのだ。


なんか、少し気が楽になった気がする。「帰りたい場所」「帰るべき場所」は自分で創り出せばいいのだ。


もしまた「帰りたく」なったら、「浴室」という名のタイムマシーンに入って、「現在」になんとか帰って来ればいいしね。


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