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ブロークンスクーターブルース

エンジンかけてぶるんと快調に走り出したら次の交差点で右折しそこねて跳んだ。
痛いというよりバイクが心配で、足ひきずりながらよっていくとオイルが漏れている。こりゃまずいなレンタなのに。しかしバイク屋にひきずってくと大丈夫だろとそのまんま返された。ライト片方つかないけど離島ってそんなもんだしね。シャツにあいた穴から快調に風が通り抜け、ひりひりいう擦り傷も日焼けの痛みと変わらないから耐えられる、さすがに途中の浜に寄ったときは海水が染みたけどこれも火ぶくれの体とくらべては最初の一瞬だけ我慢、熱い風呂にはいるのといっしょだ。胸の左に感覚がない部分があるけどシュノーケル使っても息苦しくならないから大丈夫。のちにニモとかよばれて大人気になるちっちゃなクマノミを追いかけたら巨大なハマサンゴの石臼のような体に阻まれてそれ以上先に行くのをやめた。外風が更に肌を塩まみれにしていくが麻痺すりゃどうってことない。なまっちろい体の人間はこのくらい焼けに焼けたらもうどうでも耐え切れるようになる。遠い北へむかう道をひたすら走るけど誰もさしちがいにすり違わないからさすが離島だ。スクーターが変な音をたててときどきウィンカーがつかないが、他に馬と牛しかいないのだから別にかまわない。ガマのような穴があったからもぐるとあんちゃんが一人ラジオでラップを聞いていた。鍾乳洞に入ると立派な骨壷がたくさんあって、考古学出で民俗古物趣味の俺は興味深く観察していった。やっぱ骨壷は墓穴においてあげないとね、仏像が寺にないと醒めてしまうのといっしょ。台石や鍾乳石のあいだに青い立派な磁器が四角くならび、焼骨が入ってくる前の洗骨という習慣がこういうところで息づいていることがわかった。穴の先はすぐに海だ。鍾乳洞の先が蒼いビーチってのはなかなかのものだが海流の関係かやや汚れている。海の華が沸いているのは栄養が多い、すなわち少し汚れているという証拠でもあるなあと、多良間島の飛行場裏の洞窟を思い浮かべた。あそこも独特のまるで鎌倉のような石のぼこぼこがそそられるし、出口はもうすぐ海苔だらけの海。宮古群島はみなこういうプライベートビーチで集会しバーベキューパーティをするのが昔からのならいらしいが、石垣はがいばえがいい土地なので観光客を怖がらせるような地縁を前面に押し出すことはない。宮古は石垣の二枚舌に悪口をいい石垣は外に広くひろげすぎてて本島以上に関東的な土地柄、ひとり旅なら気楽だけど。

船をかついで渡れる狭いところは東シナ海と太平洋の境目にあたるが何もない。海には箱フグの小さな黄色い幼体がいた。粟国にもいたな。

北端の平久保を往復してまたえんえんとバイクで走る。

痛みよりも風景と天気と、乾いた風がここちよかった。

本島に戻ったのは10日あとくらいだったか、まだモノレールがなかったころでタクシーの運ちゃんとしゃべってると、ああ、こっちとはぜんぜん海のきれいさが違うでしょう、と言われた。こっちじゃ海入ってないけど見た目色違うね、と言うと、海の色は島や浜ごとに全く違うんだという話にも発展した。波照間の海のソーダ色もいいが八重干瀬の晴れたさまも印象的、今は入りづらい慶良間の海の青いミドリイシ(エダサンゴ)も石垣の保護区域である白保も。もちろん西表と石垣の間や西表と鳩間のあいだの巨大なさんご礁は健在ではある。しかしやっぱり今年10年前の台風に続き水温で大打撃を受けた西表のゴリラ岩むこうの海岸の情景には劣る。そう、これは失われた景色だけれども。折れた肋骨はギブスで治る、でも折れた珊瑚は連鎖をよび、破壊者をよび、さらにポセイドンの命令にしたがい白く死んでいくのだ。

あんがい枝珊瑚系ははやくそだつといっても10年ではまだまだぜんぜんだった、黒島から足が遠のいたのも白化とオニヒトデのせいだったっけ、あそこのタイドプールは珊瑚もおおきなさかなもいる水族館だったのに。

こんなはなしももう10年近くなる。折れた肋骨は記念に少し感覚がにぶい。

ちょっとこんな思い出をかきたくなったよ。(2007)

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