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言葉にできないことは理解できていないという考え方

先日読了した、ある本に書いてあった一説。

人間は言語を介して思考するから、「分かってるんだけど、なんていえばいいかわからない」というのはわかっていないことである。

ということ。

基本的な生き方として、伝えなければわからないし、伝えたとしてもそれは事実であり、伝わったというのはまた別だ。と思っている。

察してよ。という話が、殊に男女の間柄の話としてよく出てくるが、私は相方に、絶対察するのは無理だから。言葉にしよう。という話をしている。

また、私自身の心がけではあるが、伝えたこと、伝えてもらったことが伝わっているかどうかを確認するために、咀嚼して相手にオウム返しをしている。こういうことで、言いたいことはあっているか?と。

仕事でもよくあることだと思うのだ。
言いたいことを受け取り切れていないということ。

伝えたという事実をもって、なんでわからないの?と、抗議をするのは、あまりに無責任な話であると思う。

受け取るときにも、少なくとも同じ言葉を返しておくだけでも、補足説明が出てきたりするからお勧めだったりする。

だいたい、人間関係がこじれるとき、すれ違う時、いがみ合う時、言葉をしっかりとキャッチボールできていないと思う。うまくいっている時でさえ、多分、キャッチボールできていない可能性がある。
ただ、感情が穏やかであるだけ。

言語体系を発達させたことで人間はここまで繁栄できたと聞くが、そのうえにあぐらをかいてやしないか。本当に目の前の人間が発しているそれを、きちんと受け取れているのか。

twitterを見れば、言葉を正しく受け取れない人間がたくさん見られるから、ぜひ、見物がてらに覗いてみるのも面白いと思います。
そしてそれを見ながら、自分のコミュニケーションも戒めること。
程度の差はあれど、受け取れていないことは往々にして存在している。

ここまで書きつらねておきながら、相方は言語外のコミュニケーションがうまい気がしている。私には受け取ることはほとんどできないけれど。


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