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働きたくない:大阪・日本橋(ポンバシ)のこと

※あくまでも私の記憶に基づく印象や思い出であり、事実誤認もあるかもしれませんことを最初にお断り申し上げます。

 私は90年代後半から2000年頃の間の約2年ほど、大阪の日本橋(通称:ポンバシ)で働いていたことがあります。派遣社員としての勤務で、パソコンの知識もないのにそういう関係の仕事に初めて就いたのでした。

 事の経緯としては、この時期にDTM(プリンスや森高千里のCD-ROMメディアを観たかったわけじゃないw)をしたいという理由でMacを購入しており(初めてのパソコンでした)、その話を当時登録していた派遣会社の担当の方に世間話として何気なく話したところ、何故かパソコンが使える人材として誤解されたようで(パソコンなんて分からないと何度も言ったのですけどね)、Windows95が発売されパソコンが一家に一台あるような時代を迎え、インターネット利用者も増え始めてきた頃ということで、そういう部分でのサポートをするといった仕事を紹介されました。

 無職で仕事を探していた身としてはもう受けざるを得なかったのですが、そこでなんとか食らいついて勉強するうちに、その後はパソコンというかIT関係方面の仕事をしていくことになるわけですから、人生は分からないものです。機械音痴だったのに。今でも機械音痴なのに。(その後、IT関係とは全く別の業務をするようになってから、すっかりIT関係の知識は抜け落ちました。とほほ。)

 私が働いていた時期のポンバシにはパソコン関係のお店が多く、そういう関係の仕事していたこともあり、仕事終わりや休日にもよくお店を覗くようになりました。

 Mac関係だけではなく、ゲーム(Diabloとかです)をやりたいために安くPC/AT互換機を組み立てたいということでパーツ関係のお店にもよく行っていました。自作機ブームもあり、組み立ての選択肢はかなりありました。

 その頃のポンバシの印象はパソコン関係が主流ではありますが、まだ「電気街」だよなというものでした。確かに色的にはパソコンの街(それに関連するものも含めて)というものに移り変わりつつありましたが、それでもそれまでのブランド効果が強く作用していたのか「電気街」であるという大きな印象まで変わるものではありませんでした。

 ポンバシが(電気街と言われるよりも)オタクの街と一般的にも言われ始めたのは90年代終わり頃というか2000年前後だったように思います。パソコン用のオタク系ゲームを求めてやって来る人が増えたというのもあるかと思いますし、そういったオタク層を狙ったパソコンとは直接的な関係はないお店(アニメ関係のお店とかメイド喫茶とか)の出店が増えてきたというのもあったのでしょう。

 私はそういった変化が始まろうとしていた時期にいたことになりますが、実際に劇的に大きな変化がドンとあったわけではなくて、徐々に緩やかに変化していったという印象で、あとから振り返ればこの頃が街の変遷期だったのかなとは思いますが、当時はその渦中にいたという感触すらなかったのが正直なところです。

 ポンバシでの勤務も終わった(その仕事を辞めた)あとは、ポンバシ自体が難波から近かったというのもあったり、よく行く食べ物屋さんとかもあったりして、適度に足を運ぶという関係性になりました。

 いつ頃からかな、2010年前後くらいからパソコン関係のお店が少なくなっていき、大きな家電製品の店も撤退したりなくなったりして「電気街」という色もなくなっていっているように見えました。

 アニメ関係とかメイド喫茶といったお店自体を目当てにした客層が多くなっていった結果、元々は傍流だったものが主流になったという感じです。ポンバシにはたまに行く程度になったからこそ、「電気街」というそれまでの大きな街の色が変わってしまったように私の目には映ったのかもしれません。

 勿論、変化がいけないというものではありません。自分が知っている風景が変化していくことに対して少し寂しい気持ちを抱いたりはしますが、変化は常にあるものですし、停滞してなくなっていくよりかは変化して生き残っていくのが街としての正しい姿じゃないのかなと思っています。

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