父は毎日発泡酒を飲んでいた。 #みんなの卒業式

この文章は、noteでふと「#みんなの卒業式」というお題企画を見た時に「卒業に際して、自分も何か書いてみたいな〜。」と思い立ち、書いたものになります。(卒業作文だ!)

書くにあたっては、「色んなことあったよな〜。」とちょっとエモくなりながら、大学生活を振り返っていたのですが、

たくさん考えた結果、最終的に「両親への感謝」というテーマが、自分の卒業作文(!)にふさわしいのではないかと思い、めっちゃ照れるし恥ずかしいけど、文章を公開した次第です...。

個人的な話も多くなっていますが、姪っ子や知り合いの子どもの卒業文集を見るような気持ちで、読んでいただけたら幸いでございます...。

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今の大学を志望するまで

大学卒業を振り返るにあたり、まずは東京生まれの僕が、京都大学という珍しい進路を取った経緯を話したいと思います。

「そんなんいいから早よ本題いけ!」
なんてツッコミがどこからか聞こえてきそうなので、さらっと、でも大事なところだけしっかり、書いていくことにしますね。

まず率直に。

僕の家は裕福ではありませんでした。

まぁとは言っても、めちゃくちゃ貧乏という訳でもなかったと思います。(たぶん)

日本・世界を見渡せば、もっと苦しい状況で頑張ってる方はたくさんいるし、旅行や娯楽、部活などはまぁ人並みに楽しんできた自覚はあります。

でも、僕の家にはプレステもWiiもDSもなかったし、ましてや今話題のゲームカセットが何個もあって、「今日はどれで遊ぼうかな〜」なんて悩むことは生涯で一回もありませんでした。(この感覚伝わるかな)

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もっと言うと、小学校の頃の服は、ほとんど3つ上のいとこからのおさがりだったし、サッカースパイクは、だいたい特価ワゴンの中からサイズの合うものを選んでたし、カップラーメンじゃなくブタメンで腹を満たしてたし...
(もう十分ですね、はい。)

まぁとにかく、「欲しいものが何でも手に入る家庭ではないんだ。」ということは、少年時代のいつからか、気付いていた事実だったと思います。

とまぁそんな訳で、小中高は、地元の徒歩圏内の公立校に進学しました。
ここで幸運だったのは、それら全ての学校に、嫌々通うということはなく、楽しく学校生活を送れたことです。

地元に良い学校があって本当によかったなぁ、と思うと同時に、そこで出会った友人や先生に感謝しなくてはなぁ、と強く感じます。

今の大学を志望した理由


そしていよいよ、次の進学先、すなわち、志望する大学を考える時期となります。
この時、僕は、一度オープンキャンパスに行った京都大学という存在を忘れられずにいました。

小学校から12年間、地元から一歩も出ずに生活してきた僕。

そして、優しい両親の下、一人っ子として半ば甘やかされて)育てられてきた僕。

そんなアイデンティティに逆行するように、「自由」を校風とする大学の近くで、誰にも縛られず一人暮らしをする生活を夢見て、その妄想にかつてないほど魅力を感じてしまったのです。

でもそれと同時に僕は、足りない頭で二つのことを気にかけていました。

一つは、3年生の最後まで部活に明け暮れていた僕にとって、京都大学は超難関であり、浪人する可能性もあるということ。

そしてもう一つは、京都で下宿をして、家賃・食費・光熱費を払い、学校に通うという生活が出来るのかということ。

どちらの悩みも、「お金」という要素が絡む、頭の痛い問題でした。

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そして高校3年生の夏、そんな悩みを抱えながらも、僕が真剣に「京都大学に行きたい。」と言った時、

母は「今からでも遅くはないから」と塾に通うことを快諾してくれました。
父は「二浪くらいしたらええんちゃう。」と笑っていました。

そして、圧倒的幸運に恵まれ、僕は京都大学に合格することが出来たのです。

今の大学に入ってから


京都大学に入ってから僕は、大半の(?)京大生と同じように講義よりもYouTubeで音楽を聞き、論文よりも漫画を読み、教室よりもバイトと居酒屋に出かける生活を2年ほど続けました。

さっきからの話を聞けば、「親がせっかく入れてくれた大学なのに、何をやってるんだ!」と憤慨する方もいるかもしれません...。

でもその時の僕には、講義よりも面白いことが、毎日の遊びや旅行や、PCの画面の中にあったのです。(こんな清々しい言い訳あるだろうか)

そして、そんな僕の話を聞いても、父や母は決してうるさく言わず、「無茶だけはするなよ」と笑い、毎月の仕送りと共に三ヶ月に一度、米とレトルトカレーとパスタソースがパンパンに詰まった段ボールを送ってくれました。

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そんな中、ひとつの転機が訪れたのは、大学3年の夏のことでした。

かねてから「留学とかしてみたいなぁ。」などと呑気にのさばっていた僕の、「出さないよりはましか。」と思って出したバルセロナ大学への願書がなんと、合格してしまったのです。

留学に行ったことのある方なら分かると思いますが、いくら大学の交換留学とはいえど、かかるお金ってのはかなりのもんです
(飛行機代かかるし、食費かかるし、教材費もいるのに、向こうでバイト出来ないし、、、。)

しかも、この時期に留学に行くということは、(基本的には)本来の就活の時期に間に合わず、1年留年して5年で大学を卒業するということを意味します。

今回こそはさすがに、「なんて言おうかなぁ」なんて迷いながら、僕は、父と母に留学に行きたい旨と、それに合わせて留年もしたいという旨を伝えました。

そうすると、
母は、「いざという時のために取っといたんだよ。」と何ヶ月分にもなる生活費を振り込んでくれて、
父は「バルセロナか。ええな〜。」と笑い、「長い人生考えたら、4年も5年も6年も大して変わらんよ。」と言ってくれました。

結果、僕は無事にバルセロナでの留学生活を楽しみ、日本に帰ってきてからは何とか就活も行って、この3月でようやく大学を卒業できることになったのです。

楽しかった大学生活の陰で


ここまで読んでいただいたあなたはきっと、「いい大学生活を送れてよかったね〜。ぱちぱち。」と思っているでしょう。(思っていることにします。)

でも、僕が本当に伝えたい「両親への感謝」はここからなのです。

タイトルにも書いたように、父は毎日、発泡酒を飲んでいます。ビールではなく発泡酒を。

お酒を飲む方なら、この時点で僕の言いたいことが分かるかと思いますが、みなさんに伝わるようにもう少し分かりやすく書きたいと思います。

僕は、小さい頃から父が贅沢をしているのを、ほとんど見たことがありません。
ゴルフも釣りも行かないし、飲み会に行くのは月に一回が多い方です。

そして、母がブランドショップで買い物をしている姿も、全く見たことがありません。
化粧品も必要最低限だし、スイーツも和菓子もほとんど買ってきません。(買ってきても自分はほとんど食べない。)

そんな二人の思いがあったからこそ、今、僕は気持ちよく大学を卒業出来るのです。

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別に、二人からしてみれば、そこまで我慢しているという感覚でもないと思います。(もともとそういう贅沢にあんまり興味がない人たちなので。)

でも、僕からしてみれば、「もっと自分たちにお金を使ってもいいのに」と思う瞬間はいくつもありました。

だからこそ、大学での5年間、ひいては学生生活の計17年間分の感謝を持って、新しい社会人生活を迎えなくてはいけないな〜と思っています。

そしてこれからは、僕が両親に恩返しをする番なので、真面目に働き、これまで僕に使っていてくれた分を、精一杯返していこうと思います、、、、



と言い切れれば、とっても綺麗にこの文章を終えられるのですが(笑)

まぁ僕だって、自分でいっぱい稼いで、旨いもん食べたいし、たくさん旅行に行きたい。(みんなだってそうでしょ??)

でも、頭のどこかにこの感謝の気持ちを大事に持っておいて、ふとした時に

「たまには良い酒飲もうぜ。」

って言って、父と母にご馳走出来るような、そんな恩返しが出来たらいいなーなんて思っています。

僕たちには、それくらいがちょうどいい。そんな気がしてるんです。

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Ryo Nishimura
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