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令和と一緒に、社会人になっていった人たちへ。

令和。

なんだか、歯がゆくて耳触りが悪いけど、でも嫌いじゃない、みたいな。なんとも言えない、感じ。
そんな、「令和」元年が始まることが発表された日、自分は1日をダラダラと過ごしていました。

同じ年に生まれた同期の人たちは、みんなそれぞれスーツや一張羅を着て、期待と不安の入り混じった感情でこの日を迎えたんじゃないかと思います。TwitterやInstagramで、入社式のツイートやストーリーを見ると、自分で選んだとはいえ、「自分も一緒に働き始めたかったなぁ。」と感じてしまうのが本音です。

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何にも変わらないのに、何かが変わる気がする。「令和が始まる」という言葉をニュースで聞いた時、僕はそう思いました。

でも、別にだからと言って毎日がガラッと変わるわけじゃない。
平成だろうが、令和だろうが、働いて、飯食って、酒飲んで、寝るのはみんな一緒。なーんにも変わらない。
新しい年が始まる時もそう、年度が変わるのもそう、元号が変わるのだって、きっとそう。別に大したことじゃないし。

でも、本当にそうでしょうか。
「区切り」「節目」、人類がこれらを大事にしてきたことにはちゃんと意味があるんじゃないかなって、僕は思います。
19歳の未成年だった自分が、20回目の誕生日を迎えて成人した時も、別になんも変わっちゃいないけど、なんか行動に責任が伴うような気がしたし、毎年毎年、お正月を大切な人たちと迎えると、何か新しいことを始めたくなるような、青くて浮ついた気分になってしまいます。

「平成」から「令和」になることも一緒で、きっと何にも変わらないけど、でもやっぱり何か変わるんじゃないか、みたいな気持ちが行ったり来たりしてます。

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平成から令和になる年に、”学生”から”社会人”になった、たくさんの友達たち。
きっと、「何にも変わってない」のかもしれないけど、僕からしたら、全員が全員、めちゃくちゃかっこよく見えます。きっと「何か」が変わったんだろうなーって思います。いいなあ。ずるい。

でも、でも、やっぱり、飲みに行く時は、変わらない部分もちょっとは見たいなあと思います。暇があれば、ぜひ一緒に飲んで、何が変わったのか、何が変わらないのか、聞かせてください。

自分も、令和元年、負けないようにぶっ飛ばしたいと思います。

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