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父の日

父の日ということで、と、父の仕事と、それにまつわる自分の感情について思うことがあったので、少し書いてみようかなと思います。

きっかけは、Twitterにもちょっと書いたけど、父の退職でした。

退職後もちょっと休んだ後、違う形で働くことを考えているみたいですが、これをきっかけに僕の中で思うことがいくつかあったので、つらつら書いてみます。

特に「タメになる!!」系の文章ではないんですが、日曜の夜にだらだらと読んでいただけたら幸いです。

脚本家としての父

僕の覚えてる限り、幼少期から小学生くらいまで、スーツ着てネクタイを結んでいる父の姿なんてほとんど見たことがありません。

毎日、お昼前に起きてきて飯食ってどこかに出かけて、気づいたら帰ってきてて、いっつも書斎にいるか本読んでるか映画見てる、みたいな感じだったはず。(もっとちゃんと生活してたかも。ごめん。)

書斎には、でっかい古びたワープロ(ワープロって伝わります??)と、大量のフロッピーディスク(フロッピーディスクも伝わってます???)と、原稿用紙と鉛筆と、日活やらなんやらの雑誌と大量の本と漫画がいっぱいありました。

ワードプロセッサことワープロ。

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フロッピーディスク(小学校のPCの授業で使った以来触ってない)


その頃の父は、売れてるのか売れてないのかよく分からない脚本家としての父であり、その頃の僕は、「なんかよく分かんないけど、家にドラえもん全巻あってラッキー。」くらいのことしか思っていませんでした(アニメのドラえもんの脚本を書いてたことがあったらしい)

だけど、あんまり記憶にないとはいえ、父の姿を見て受けた影響というのはやっぱりあると思っていて、そこから学んだこと、感じたことっていうのはやっぱり、「自由に働ける」っていいな〜ってことです。

親父が、毎日スーツをビシッと着て、電車に揺られてカッコよく仕事してる、みたいな感じだったら、僕の仕事観っていうのも結構違ってたんだろうなーなんて思ったりしますし、「仕事」と「生活」がほぼ一体となってたからこそ、「仕事」に対する意識も、肩肘貼ったものにならなかったんだろうなーと思います。

介護士/ケアマネとしての父

そして父は、僕が10歳くらい(?)の頃から脚本の仕事を辞めて、介護士/ケアマネとして新しい職業人生を始めます。

机の上に積まれていた原稿用紙は、資格のためのテキストと、スタッフのシフト管理のためのシートに変わり、ワープロとフロッピーディスクは棚の奥底にしまわれ、父の朝の始まりは11時から6時に変わりました。

そこからの父の仕事ぶりについても、家で仕事の話を全くしないから正直全く知らないんですけど、なんか最終的にはすごいちゃんとした感じで仕事人生を終えたらしいです。
(退職する際に色んな人に引き止められたらしい)

50歳くらいから、未経験の状態で新しい仕事を始めて、資格とって、最終的にはすごいちゃんとした人材になるなんて、めっちゃすごいことだよな〜と純粋に思いますし、なんだかんだちゃんと働けるんじゃん!っていう尊敬半分、からかい半分みたいな気持ちになっていました。

ここから学んだこと、感じたことっていうのは、「いくつになっても、変にカッコつけずにとりあえずやってみる、そして学習し続けることの大切さ」って感じです。

どうしてもある程度の経験がつくと、それを辞めるのを躊躇ってしまったり、学びの足を止めてしまったりしますし、ましてや全く異なる仕事を50歳にして一から始めるってめっちゃすごいことだなーと。

だからこそ、変化を恐れずにとりあえずやってみること、臨機応変に変化に対応し続けることってめっちゃ重要だよな〜と思いました。

これからの自分の職業人生

こんな感じで、言葉ではあんまり伝達してくれない分、父の背中からニュアンスで感じてきた「仕事」に関する部分を改めて言語化してみました。

やっぱり、自分の就活とか仕事観を考えると、なんだかんだ影響受けてるなーって感じがしますね。

まだ始まって3ヶ月も経ってない自分の職業人生ですが、

・やりたいことはやる。自由にやる。

・やらなきゃいけない場面では、プライドを持たず、つべこべ言わず、目の前のことをやりきる。

・変化に対応する。文句を言わず、変化を受け入れて、その中で勉強・向上し続ける。

みたいな部分は、これからずっとずっと覚えておきたいなーと思った感じでした。

皆さんも、この機会に家族と仕事の話とかしたら面白いかもしれません!

特に仲良い家族って、意外に真面目な話しないもんだから、お酒でも片手にぜひ!

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Ryo Nishimura
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