過剰投資になっていないか?
2023シルバーウィークは、今春に亡くなった父の工房の片付けに明け暮れました。10月から解体に関わる法改正が厳格化されるらしく、手続きや費用が変わるためです。
工房を片付け始めてわかったことですが、戦争を経験したからなのか、性格なのか、父はモノが捨てられない性格だったようで、約50年分のモノが溜め込まれていました(ちなみに存命する母は筋金入りの溜め込み屋)。
加えて、父の仕事は窯業でしたので、一つ一つのモノが重い。窯で陶器を焼く際に使う棚板は一枚4-5kgありますし、重い陶磁器を支えるための棚もほとんどが鉄製。私を含めた3姉妹で結局 産廃処分場や金属買取業者に約2tのゴミを運び出しました。一人あたり600kg 運搬したことになります。
さて、本題はここからです。父の事業はオイルショック時に倒産していますが、今回の片付けをしながら倒産した理由がわかった気がします。
一人工房の割には、規模がデカすぎる。持ってるモノが多すぎるのです。つまり過剰設備・過剰投資。
窯は2機(写真)。茶碗や湯呑みを焼く際にそれらを火炎などから保護するために使用する耐火性の容器(サヤ(匣鉢))に至っては、500個近く出てきました。いくら大きな窯を有しているとはいえ、一回の窯で焼けるのは、まあせいぜ80-100個くらい(推定)。その5倍のサヤを保有。
他にも釉薬、土、石膏の型などが片付けても片付けても湧き出る。湧き出る。譲り受けたものもあったらしいと妹から聞きましたが、それにしても一人で使いこなせる量ではない。
どのような考えで、このような設備・備品を揃えたのか今となってはわかりませんが、どう考えても受注量、販売量、一人で生み出せる生産能力を考えての投資だったのか?については深い疑問が残ります。
推測にしかすぎませんが単に
・色んな用具を取り揃えたい、取り揃えたらもっと色々できる
・こんなことができたらいいな
・単に自分が欲しかった 等々の
理由で揃えたように思います(そしてその度に母にお金を出してもらっていた)
結果、たとえ売上があったとしても、多大なコストは回収できなかったのだと思います。あえて厳しく言いますが、身の丈を超えていたし、未来の算数ができなかったということ。
この状況を見て、これは、とっても大きな大きな学びだと思いました。わたしたちにも同じようなことは起きかねないからです。
私は大企業で投資計画などに関わってきましたが、様々な人たちの目や口が入る大企業の投資は、時間を要するとはいえ、内容が精査され、投資する意義やそれに関わる関係者の意気込みは議論とともに高まります。
一方で、個人事業主や中小企業の投資は、意思決定は早いものの、必要性の検証よりも、感情面や思い込みで決定されることがあるように思います。
自分たちが欲しいから
きっとお客様も欲しいに違いない
これができたら、もっと色んなことができる。
こんなことができたら楽しいよねー、面白いよねー などなど
投資は、使ってなんぼ。需要はあとから生み出せばいいと軽く考えたり、自分の生産能力(=身の丈)を振り返らず、お金を投じても使わなければ単なる休眠資産です。眠らせておけば劣化して、あっという間に不良資産になる可能性もある。
私のようなコンサルティング業でいえば、様々な学びです。学ぶことはいいことかもしれないけれど、それをアウトプット(収益に結びつける)しなければ意味はない。アウトプットが中途半端なままで、新たな学びに手をつけていないか。それよりも今現在の自分が持っている/生み出せる価値を最大化する必要があるのではないか。と、強く強く自分を省みました。
書いてみると、ごく当たり前のことです。
今回の片付けは、大きな区切りを身内の手で行えた充実感とともに、父が遺してくれた最後の教えだったように思います。
私のところには、新しいことをしたい/新しい学びをして、新規顧客を獲得したい/顧客単価を引き上げたいなどのご相談が入ります。その際に考えるべき大切なポイントを身をもって学びました。
投資とは未来の算数だと。
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