トリュフ族

1980年代原宿の歩行者天国を中心として、ラジカセを囲み派手な衣装で踊った「竹の子族」。インターネットのサイトによると、1970年代末期~80年頃、中高生は詰め込み教育と競争社会に追われ、過酷な状況に堪えきれなくなり、暴行事件に走ったという。“非現実”を夢見た若者たちはクラブに通うようになり、そこから派生して原宿の歩行者天国で踊るようになった。それが竹の子族の始まりである。そして最後に「竹の子族」の目的は、「非現実を味わう」ことだったと書かれてあった。
私は、“非現実”という言葉に引っかかった。ならば、詰め込み教育や競争社会というものが“現実”なのだろうか。会社に行くことが現実?では仕事終わりに居酒屋やバーにいて、酒飲みながら本音で話すことは“非現実”に分類されるのか。では、会社からまっすぐ帰宅して、家庭内の仕事をするのはどっちなのか?

そもそも“現実”とはなんだろう。
私はいま熱海から東京への快速電車に乗っているが、乗客の行動パターンはたったの2通りだ。寝る、スマホを見る。それ以外のことをしている人は私の見える範囲ではいない。
彼らはいま“現実”にいるのか、“非現実”にいるのか。そもそも“現実”と“非現実”の明確な違いはなんなのか。

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