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書かされて書いた本じゃなくて、僕が書きたいことを書いたらこうなった。

最近めちゃくちゃ本を読むようになった私は、先天性の脳性麻痺である。もう32歳も折り返した自分にはずいぶんと昔になるが、小学校の頃は読書が嫌いだった。「首が痛くなるから」という理由で。当時は今のように電子書籍もなければ今ほど身体の自由も効くわけじゃない。ページをめくるという”作業”がとにかく苦手だった。それでも、当時流行ってきたハリー・ポッターシリーズの第1巻を、担任の先生自ら読ませた。「これは面白いから!」と。たぶんカタカナが多すぎて挫折した(笑)

今になって思う。経験でカバーするという芸当は月日が経ち、繰り返し重ねてきたからできることなのだ、と。

本を持つことも至難の業。重さに負けて身体が安定しないから、どうしても顔を下ろしていく。するとやがて重力に負けて首が痛むのだ。

それでも今、僕はめちゃくちゃ本を読む。そこに広がる世界観が楽しいから。著者に感情移入し、リスペクトできるから。本を書いたから。

1年半前、御縁に恵まれて本を出版した。

正直、自分でも面白いとは思わない。とにかく伝えたいことを、当時感じていた想いを、自分の魂を詰め込んだから。

障害を感じていたって、人との関わり方次第でいくらでもすぐにでも、忘れられる瞬間を創り出せる。自分らしく生きられる。

ただそれだけを伝えるために。

「障害」とは病名ではない。1人ひとりが日々を生きる中で感じる、困難さや悩み、不安や嫌なこと。
1日の中に5分でも10分でもいい。この音楽を聴いている時だけは、TVを見ている時だけは、この人と話をしている時だけは・・・嫌なこと忘れられるなぁ。そんな時間が皆さんの毎日にもないと、生きるのが辛くなるよね。

障害がみんなのものだから障害を忘れられる瞬間も障害者だけのもの(権利)ではないんだ。

今もそんな想いで活動している。

本当は講演を仕事にしたかった!

自身の経験を、今本当に必要な人たちに届けたい。直接出向いて。

そうすれば自然といろんなトコに行ける。いろんな人に出会える。今まで我慢してきた分、思う存分旅ができる。世界観が広がる。

一石四鳥である。

でも、6年ほど前から喋りすぎると咳が頻発するようになった。当然初めて行った先で心配されることが増えた。そして思った。

毎日は無理なんだ・・・!

だからそれを逆手に取った。

「書く」ことなら自分のペースで自分の言葉で続けられる。障害を見られず、魅せられる。

するとどうだろう。期待するほど売れなかったかもしれないけれど、自分を売らなくても少しずつ、講演の声を掛けてもらえることが増えている。

欠けていることがあるからこうして書けている。

そんなわけで今日も、僕は自分らしく生きている。

↑初著のもとになった原稿はこちらからご覧下さい!

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