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ターニングポイント

今日はまさに物語の最大の山場、出版した書籍にも取り上げたエピソードの完全版をお届けします。

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 初めて健常者集団に飛び込んだ私がまず考えたのは、友人を作ることでした。とにかく困った時にサポートしてくれる人を自分で探さなければ、という思いでいっぱいだったことを覚えています。同世代の友達を作ることは、大学進学の目的の1つでした。

 そして、そのチャンスはすぐにやってきました。入学式から2日後に行われた教育学科主催の【オリエンテーション合宿】です。「(皆と)やっていくことができるのだろうか」という不安に駆られ、最初の週末が潰れることにがっかりしていた私は、この合宿で、大学生活を決定づける出来事に遭遇することになります。それは同時に「肢体不自由者として何ができるのか」を考えるきっかけを与えてくれるものでした。

 合宿の冒頭、オリエンテーションの中に大学で初めてとなる講義、[基礎演習Ⅰ]が組み込まれていました。この講義は今後の学生生活に不可欠な知識や情報検索、パソコン操作などを学ぶ目的で設置されています。1年間のクラス担任が担当することになっているのですが、クラス編成はもちろん、この時まで何も知らされていない私たちをよそに、颯爽(さっそう)と教室に入ってきた先生の姿は、今でも鮮明に覚えています。

『長野いるか~』という第一声に正直、驚きました。周りにいたクラスメイトはこの時初めて、(最後尾に陣取る)障害者である私の存在に気付いたのかもしれません。私が返事をすると、先生は『せっかくだから最初に自己紹介してみるか』と投げかけてきたのです。
 口から心臓が飛び出るとはまさにこのことか、と思うほど、緊張感は相当なものでしたが、私は覚悟を決めました。何のために大学に来たのかを考えればこの上ないチャンスです。おそらく1分ほどの持ち時間で事前に言われたのは、氏名・出身高校・これまでの代表的な活動くらいだったと思います。しかし、私はこれらに加え(障害があるが故に)苦手なことや皆に手伝ってほしいことなども可能な限り伝えました。緊張から1分にも満たない自己紹介をするクラスメイトもいたことを思えば、少しはインパクトを残せたのではないでしょうか。 

 その夜の入浴は、大浴場で行うことになっていました。時間は細かく決められていたのですが、そこは大学生になって最初の“裸の付き合い”ですから、当然予定通りに行くはずがありません。案の上、私たちのクラスの番になってもまだ、他クラスの学生でごった返していました。
 ただでさえ、介助を必要とする私は時間もかかりますし、入浴介助は日常生活の介助の中で最も難しく、ましてその日に初めて介助をすることになる友人たちのことを考えれば、大浴場を諦めて部屋にある備え付けの浴室を利用するという選択肢が妥当のように思えました。

 しかしその時、仲間の1人が口火を切りました。

『最悪りょうだけ入れればいいじゃん。オレたちは部屋でも入れるし』

 すると私が戸惑ったのも束の間、友人たちが瞬時に賛同し、皆が一斉に協力してくれたのです。衣服の着脱に始まり、入浴中の介助から浴槽への移乗に至るまで、そのサポートは多岐に渡ります。それもただ介助をするだけではなく、私が這って移動する際に浴室のタイルで擦りむいてケガをしないよう、各々が持っていたタオルを敷きつめて道を作ってくれたり、(もちろん彼らもその場で入浴をしながら)交代で身体を洗ってくれたりと、隅々まで配慮が行き届いていました。一連の介助は本当に初めてとは思えないほどスムーズで、そのチームワークは本当に見事という一言に尽きます。
 恥ずかしながら、これらはすべて友人たちのアイデアで、私はといえば、(浴室内の移動など)とにかく自分のできることをするだけで精一杯、『少しでも仲間の負担を減らしたい』という気持ちしかありませんでした。

 しかし何より嬉しかったのは、お礼を繰り返す中で1人の友人がかけてくれた一言です。最初に大浴場での入浴を提案してくれた彼は、(背後から洗髪され、泡まみれの私に対し)

『気にすんなよ。困っていたら助けるのが当たり前だろ』

と、当然のように言い放ったのです。この瞬間、私は思わず泣きそうになりました。同時に、[大東文化大学 文学部教育学科]への進学は間違っていなかったことを確信したのです。
 
 間もなくこのエピソードは学科中に知れ渡ることになりました。翌日、1泊2日の合宿を締めくくる挨拶で、学科主任の先生が取り上げて下さったのです。約5分間の話の最後、先生は皆に向かってこう語りかけました。

『今年は皆さんの仲間に車椅子の学生もいます。私は(合宿での光景を見ていて)感動しました。(※入浴介助のエピソード・・・)長野くんが4年間の大学生活を振り返った時、楽しかったと思えば、皆さんの配慮が良かったということ。反対につまらなかったと思えば、皆さんの配慮が足りなかったということ。私は教育学科全体がこのような思いやりで溢れることを願っています』

 その言葉にとても恐縮したことを憶えています。そして、心の中で「自分の気持ち1つで皆の大学生活に判断が下されることはないよ」と呟いていました。先生の言葉は、前日まで不安でいっぱいだった私にとって、それほど重く、有難いものでした。
 
 振り返れば、この【オリエンテーション合宿】が学生生活における【ターニングポイント】だったことは間違いありません。その後のキャンパスライフを順調に送ることができたのも、最初に入浴介助のサポートをしてもらったことが大きく影響しています。すなわち、最初に最も難しい入浴介助をいち早く依頼できた(せざるを得ない環境に身を置いた)ことで、私にとっては、「入浴介助ができたんだから何でもできるよ」と、他の介助も頼みやすくなりました。また、友人たちにとっては私の介助のイメージを描くことに繋がったと思います。

 それは、結果としてその後の関わりへの不安、(主に介助に対する)「気持ちのハードルを下げる(取り除く)」ことになったのです。加えて、私には「設備が整っていなくても、人間関係の築き方次第でなんとかやっていける」というプラス思考の気持ちが芽生えたことが何より大きな成果でした。

 ここで少し話を戻しましょう。「肢体不自由者として何ができるのか」を考えるきっかけを与えてくれたのが、このオリエンテーション合宿のエピソードであり、クラスメイトの存在です。彼らのおかげで、「どうしたら友人たちの助けがなくても過ごしていくことができるのか」という新しい視点を持つことができました。
 繰り返しになりますが、「なんとかやっていける」というプラスの気持ちが芽生えたのは仲間のサポートのおかげであり、もしもあの時、誰の助けも得られず1人取り残されていたら、大学生活自体、全く違ったものになっていたでしょう。裏を返せば、この体験は「誰かの助けがなければ大学生活を送ることは難しい」という現実を気付かせてくれたのです。

 そして芽生えた「やってもらってばかりでは申し訳ない。ましてトイレまでいつも助けを求めるのは自分が1番辛い」という気持ちこそ、大学側に対して物理的なバリアフリー、さらにはユニバーサルデザイン化を求めていく原動力となっていきます。

 このエピソードこそ、友人たちと自分との違いを肌で感じた末に訪れた、私の大学生活における「ターニングポイント」です。


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