アドリブ

 最後の学芸会の演目は『大きなかぶ』でした。私の母は「どうして6年生にもなってこんなに子どもっぽい演目なんだ」と嘆いていましたが、私の捉え方は少し違いました。
 それは、先生方が必死になって考えた苦肉の策でした。私以外に話ができる児童は1年生の1人だけ。確かもう1人の1年生は入院中でいなかったと思います。つまり、セリフが私と彼だけでも成り立つ演目と構成を考えなくてはならないわけです。私にとっては多くの見せ場があり、「おいしい」と感じていました。
  演じたのはもちろん「おじいさん」役。先生から渡された台本には私のセリフがびっしりと書かれていました。約20分の劇が自分に託されていると意気に感じて練習したことを覚えています。
 練習では自分のセリフだけでなく、流れや動きもすべて頭に入れました。そしていつしか、自分のことよりも1年生がうまくセリフを言えるのかを心配していることに気付きました。後輩の練習にも付き合っていたその期間、私のあだ名が「おじいちゃん」になったこともご愛嬌です。
 今振り返ってみると、主体的に何かをやり遂げようとしたのはこの時が初めてだったかもしれません。自分が後輩を引っ張り、劇を成功させなければいけないという感覚(責任感)は、それまでの結果的に目立っている状態とは全く違うものでした。
 

 そんな時、私はひとつのアイデアを思いつきました。『大きなかぶ』では、おじいさんがおばあさん、孫、犬、猫、ねずみを順番に呼び込むシーンがありますが、劇中ではそれぞれの役に扮した後輩が、私の呼びかけに応じて上級生から順に登場するという設定になっていました。台本では私の掛け声で5人を呼び込むことになっていましたが、この掛け声を当日の観衆、つまり650名の児童とその保護者も一緒にやってもらおうと考えたのです。これは「会話はできなくても人からの声掛けや関わりが大好き」という自分のクラスメイトに少しでも楽しんでほしいという、先生にも内緒のサプライズでした。
 それからというもの、毎晩の練習が日課となりました。呼びかけはもちろん、事前にどのような声掛けをすれば650人が応えてくれるだろうと、必死に考え、ひたすらセリフを繰り返しました。最初は劇が稚拙だと否定的だった母も、私の熱意に押され、いつしか台本読みに協力してくれるようになっていました。
 迎えた本番は、私にとって挑戦の連続でした。実は、劇の冒頭は車椅子ではなくウォーカー(歩行器)で歩いて1人で舞台へ行き、立ったままの長ゼリフが待っていたのです。長くは感じたものの、練習の甲斐あって最初の5分を何とか乗り切ると、休む間もなく車椅子へスイッチ。とうとう会場全体を巻き込んだ呼びかけの場面がきました。
 「おじいさんが“せーの”と言ったら、みんなも一緒に“おーい”と呼んでおくれ」というアドリブに続き、“せーの”と言った瞬間、会場から一斉に“おーい”と声が上がりました。1人、また1人と呼び込む度に会場の体育館が一体となっていくのを感じました。最後の掛け声はまさに地鳴りのような大歓声。こうして劇は大成功で幕を閉じました。
 最初は「もしスベったらどうしよう」という不安でいっぱいでしたが、全校を巻き込んでアドリブをやり切ったことは大きな自信になりました。結局最後まで交流学習には馴染めませんでしたが、最後の最後に自分の呼びかけで650人を1つにできたことは、私の小学校生活の忘れられない思い出です。

画像1

*今では、とっさにプロジェクターに映り込んでみたり「いかに笑われるか」を考える日々。あの頃のスベる恐怖はもう、ありません。

いただいたサポートは全国の学校を巡る旅費や交通費、『Try chance!』として行っている参加型講演会イベント【Ryo室空間】に出演してくれたゲストさんへの謝礼として大切に使わせていただきます。