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⑶学校ってなんなんだ


不登校、うちの場合。
うちには子どもが3人いて、3人とも学校に行っていない。2020年現在16才、14才、10才。
不登校になった経緯や、不登校になってからのことを振り返ることで、どんなことが問題なのか、今の社会に足りないものは何なのかを紐解いていけたらと考え書いていきます。
なお、「不登校」という言葉には賛否両論あるものの、「一条校に行かない選択」という意味で不登校という言葉を使います。

リクは、小さいときはとても自由な人だった。手をつなぐのもいやがるほどに、自由を求めた。私も彼の自由を守ることを大切にした。まずはやりたいようにやってみる。失敗も成功も経験しなければ身につかない。そう思ってできるだけ手も口も出さないように気を付けていた。
「宿題をしなさい」「忘れ物はしないように」
小学校に上がってからも、そういうようなことを私は言ったことがない。低学年の頃は毎日のように忘れ物をして、宿題もせず、夏休みの終わりには泣きながら宿題をするものの終わらせれず、すごく苦労していた。それでも小学校高学年になるころには、自ら宿題をするようになり、忘れ物もずいぶんしなくなった。

今思えば、学校に合わせることこそに無理があり、合わせ続けたことで自分というものがわからなくなってしまったのではないかと思う。私は忙しく、そのことに気づけないまま大きくなってしまった。自分では制御できないほどに。
小学校のころからナニカトやらかして怒られたり呼び出されたりしていたリク。中学校に入ると制服があり、制服の着方を指導され、下着や靴下の色まで指定される。入学時に買った通学用の電動自転車も内部規定で禁止だと言われたり、気軽に入った部活に行きたい時だけ行っていたら、「やりたい時だけやるのは部活じゃない」と顧問に言われたり。
とにかくやることなすこと注意を受ける。何がいいのか、何が悪いのか、意味もわからないまま、「普通」から外れていってしまう恐怖をもったまま不登校になった。

小学校低学年の頃、もっと私に余裕があれば。
もっと私がサポートしていたら。もっとあの時・・・

なんで学校や友だちが大好きだったリクが学校に行けなくなるんだ。
学校は何をしてくれたんだ。何を教えて、リクの何を奪ったんだ。

後悔と恨みと憎しみと、また後悔。

だけど、後悔や恨みは何にも生まない。ぶつける相手もいない。
そして何にも改善しない。

それでも学校に行きたい、というリクのために学校に行って担任や学年主任、校長といっぱい話をした。

リクがしんどいと思っているところ、学校側に変わってもらえれば行けるようになるかもしれない点をリクから聞き取り持って行った。
何回も、何人とも、何時間もかけて話をしたが、学校は不登校当事者に合わせて変えたことはなに一つなかった。
例えば部活の前後におなかがすくからおにぎりでも持っていきたい。
教室にいるのがしんどい時、図書室で過ごしたい。
そんなことさえも、学校はルールを変えられない、と言う。

「こども側が学校に合わせない限り学校には来られませんよ」

これはこの話し合いの学校側からのメッセージだ。
変えられない、ということは子どもに学校に合わせて変われ、と言っているということでしかない。税金で作られ運営されている、地域のすべての子どもを受け入れるはずの学校が、子どもを選別し、管理できる子どもしか受け入れない、という仕組みになっているのだ。

地域によって、学校によって、校長によっての違いはあるのかもしれない。
だけど、今までやったことがあることしかやらないことが、学校を守ることになる、というのがほとんどの学校職員や行政職員の考えなのではないだろうか。

寺子屋から始まったと言われている日本の教育制度は、誰でも、どこに住んでいても、等しく教育を受けられるよう、戦後に整備され、権利として守られるようになった。そこから70年が経ち、「誰でも、どこでも」が新たな問題を生み、子どもたちの権利を守れなくなっている。

ここ数年、毎年毎年不登校数は増加の一途をたどっている。少子高齢化が進み、子どもの数は減り続けているのに、不登校数は増え続けているのだ。
そして不登校と共に、当事者親子は苦しみの中に放り出される。

今、変える時なのだ。
今変われないでいつ変われるのだ。
子どもはあっという間に大人になってしまう。
子ども期にこそあって欲しい環境がある。大切にしたいことがある。

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