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1.自分が自分であるということ

私は2019年の春に離婚をした。

離婚後、ある知人が、「なんかしっくりけーへん」なんて理由ではゆるすぎて離婚なんてできない。
と言っていた。
え?そうなん。ちょっと待って。私の離婚理由は「なんかしっくりけーへん」かも。かも。だな。


結婚をしたのは2001年、25才のとき。それから子どもが3人生まれ、ケンカしながらも一緒に仕事をしていたし、うまくやってるつもりでいた。気が付けば18年も一緒に家族として過ごしたのだ。

なんかしっくりけーへん


これは些細なようでいて、とんでもなくとんでもない、実は自分自身の人生を生きられなくしている最大の原因なのだ。

結婚生活18年というのは、「しっくりけーへん」を少しずつ積み重ねて、膨大な量に積みあがってしまう。
自分の価値観や認識を自分のものではなくしてしまうには充分な時間であった。

そして「自分のものではないなにか」は、「自分のものではない」ということに無自覚に、少しずつ少しずつ年月をかけて自分の中にしみこんでいくものなのだ。


それに気づいてしまったある出来事も、今思えば些細な事だった。

それは私が離婚を思い立つ少し前のこと。

家族一緒に車で旅行に行く予定を立てていた。行先は高知。

高知県の西の果てに私の祖母が住んでいる。

その年は、ニューヨーク在住の姉が、数年日本に住む予定で帰ってくることになっていた。
姉のための車を大阪で借り、私と元オットが一台ずつ運転してアメリカから到着する姉ファミリーと高知空港で落ち合おう。そんな予定になっていた。


姉が高知空港に到着する日の朝に二台で一緒に出発する予定だったのだが、その二日前に大きな夫婦喧嘩。
「顔も見たくない」
車2台ということもあり、私は子どもを連れて一日予定を早めて大した計画も立てずに出発した。

何の予定もない宿泊場所も決めていない一日。いいところがあったらそこで泊まろう。

わくわくした。


何も決まってないその一日に、私はとてもわくわくしたのだ。


それまで旅行に行くとなれば、石橋を叩いて渡るタイプの元オットの不安を取り除くために、泊まる場所を確保してから出かけていた。しかも探すのは私。
私は計画を立てるというのがあまり好きではなかった。
なんとなく頭の中で考えながら行き当たりばったりに動くのが好きだったんだ。

そんなことを思い出してしまった。

というよりは、好きだ、ということ自体を忘れてしまっていたのだ。


大きな大きな離婚のきっかけである(笑)

ホンマカイナ

続く→ 2.チャンスが来た!!

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