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⑵連鎖する不登校

不登校、うちの場合。
うちには子どもが3人いて、3人とも学校に行っていない。2020年現在16才、14才、10才。
不登校になった経緯や、不登校になってからのことを振り返ることで、どんなことが問題なのか、今の社会に足りないものは何なのかを紐解いていけたらと考え書いていきます。
なお、「不登校」という言葉には賛否両論あるものの、「一条校に行かない選択」という意味で不登校という言葉を使います。

ゆうが2年生になったころ、隣の市にフリースクールが立ち上がった。放課後等デイサービスという事業が併設のスクール。私が仕事で忙しく、とにかく学校外の居場所を求めていたゆうにはとてもありがたい場所だった。
はじめはほかに子どもがおらず、大人が数人でゆうの相手をしてくれているような状態だったが、ゆうは喜んで通うようになった。

ようやく一息、と思ったのもつかの間、今度は当時中1のリクが不登校になった。彼はゆうが1年生で学校に行かなくなったときに、「学校楽しいのになんで行けへんの?」と言っていた。いわゆる中1ショックというものだったのだろうか。

「学校に行きたい」


と言いながら行かない、行けない日が続いた。行きたい、と言う。私は行けるようにサポートする。学校に電話をして事情を伝えると、先生が「手伝います!」と家に迎えに来たこともある。
不登校になった時にやってはいけないこと、を片っ端からやったように思う。

「明日は行くん?」「なんで行きたくないん?」

ゆうが通い始めたフリースクールにも連れて行ってみた。でも、学校に行きたい。学校以外の場所には行きたくない、と言い続けて学校に行かない日が続いた。相変わらず私の仕事は忙しい。
早朝から家を出るので、子どもたちが学校に行く時間には夫婦そろっていない。学校に行きたくない子どもたちは学校には行かない。当時小5のコウキも学校をサボりがちになっていった。こうなるともう収集がつかない。

当時、元オットと私の関係は崩壊に向かっていた。崩壊のストーリーは↓

でもその頃はまだ離婚という方向には行っておらず、どうにかうまくやっていこうと思っていた時期だった。そして、元オットとリクの関係も非常に行き詰っていた。必死の思いで仕事を終わらせ、帰ってリクと話をしたらもめてしまって、方向を変えたくて元オットに対応を変わってもらったら、さらにもめる。家事をしていたら電話が鳴る。インターフォンが鳴る。子ども3人の学校関係ばっかり。まともにこちらの想いを伝えようとすると一人一人めっちゃ時間がかかる。かといってないがしろにできない。どんどん子どもとの時間は減っていく。私自身の時間も減っていく。精神的にもすり減っていく。


今思えば、この頃が一番しんどかった。

不登校に対する知識もなく、自分の軸になる考えもない。

学校は行かなくてもいいけど、勉強はして欲しい。
学校は行かなくてもいいけど、社会とは繋がっていて欲しい。
学校は行かなくてもいいけど、家以外の学びの場に行って欲しい。

子どもたちの状態をよそに、私の希望だけが先行し、ただただ、自分の理想の形に少しでも近づけるようにという視点しかもっていなかった。


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