日記・かわいい裁判

 「かわいい」は裁きである。
 人の容姿に対して言う「かわいい」は裁きだと思う。しかも、かわいいと言った相手にかわいくあるべきと思わせる。

 かわいいって本人の素質を言っているように見えて実は本人の努力の結果を言っているのではないかと思う。それを素質のように言ってしまうから、素質を失う恐怖がかわいいという言葉にはあるのではないか。

 あるいは、かわいいという言葉が示す理想形とのギャップに苦しめられるのかも知れない。「かわいい」は例えばアイドルや女優などの見た目によって具体的な視覚情報として与えられて、それが基準になってしまうのだろうか。

 その基準によってアイドルであろうと女優であろうとそうでなかろうと半ば無意識に人々がそれぞれが持っている「かわいい裁判所」でかわいい裁判にかけられているんじゃないかと思う。

 かわいくないことは罪なんだろうか。不細工は有罪なんだろうか。見た目に対して判決を下す時の人の冷たさを思ったりする。見た目に対してあれこれ言うことがあまりにナチュラルになり過ぎて、それは「かわいい」と一緒に「かわいくない」も同様に引き出すように思う。

 人が見た目によって生きにくさを感じているとすれば、それは見た目そのもののせいではなく見た目に人が何を感じその感情をどう扱うかに依っているのではないか。

 とかなんとか言っていますが僕もいまだに「かわいい」って普通に言ってるのでよく分かりません。でも「かわいい」って言葉ってちょっと怖いなと思います。

もしよろしければサポートお願いいたします。