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とびきりのおしゃれして別れ話を / SISの卒制・掌編小説

 これはもう数ヶ月前から分かり切っていたことで、1週間前に合わせたデートの予定が2日前になって別れ話の舞台になってしまった。彼がどうしても話したいことがあって場所を変えてほしいと言うので、私がそれは別れ話かと聞くとそうだと言った。
 どんな服を着て行こう。彼はいつも当たり障りのない服を着てきて、でも他人の着ている服には厳しくて、あれは派手すぎる、あの人は年齢のわりに服装が若い、カバンがダサいなどと時々ケチをつける癖があって、それが嫌いだった。彼から私の服装を直接なにか言われたことは今までなかったけれど、彼がどんな服が嫌いか私は手に取るように分かった。それで私は彼に嫌われないように彼が嫌いじゃない服を着て、メイクもほどほどに、カバンはシックなものを選んで使った。無難が彼の好みだった。
 最後だから。彼に会うのは次できっと最後になる。だから、とびきりのおしゃれして別れ話をしに行こう。そう思った。彼が好きじゃない服を着て、メイクをしっかり決めて、お気に入りのカバンを持って彼に会いに行く。
 なんで彼と付き合うことになったんだっけ。鏡の前で服を合わせながらふと思ってしまった。告白は彼からしてくれたけれど、でもその時にはもうお互いに好きって分かっていて、それは確認の為の告白だった。俺たち、付き合ってるよね? 私たち、付き合ってるよね? 確かに私たちはその時両想いだった。
 明日着て行く服が決まった夜、彼からLINEのメッセージが来た。
「ほかに気になる人がいて別れたい」
 それは明日話せばいいんじゃないかと私はそのまま彼に電話しようかと思った。既読をつけてからお風呂に入って戻ってくるとそのメッセージだけがまだ浮いていて、お湯を張ったばかりの湯船に髪の毛を見つけたような気分だった。明日はたくさん準備があるから早く寝よう。そう思うと余計眠れなくて、ほかに気になる人って誰なの、なんでそれを言うのが今夜なの、明日会ってから言ってくれれば良かったのに。最高のお別れにしようとしてるのに。
 翌日、眠い目をなんとかこじ開けて彼に会いに行くためだけの準備をする。彼に見せる最初で最後の私の姿だから気は抜かない。少しのミスだって気になってしまう。服は本当にこれで良かったのかな。家を出る前、鏡を見た瞬間に迷いが消えた。
 初めまして、と彼を見つけた時に心の中でつぶやいた。初めて会う私に彼の目が一瞬泳いだのが見えた。私はにこにこしてしまって今日のデートを楽しみにしていたように彼からは見えたかも知れない。ごめんね、でもこれが今の私だから。
 夜、カフェに辿り着いた私たちは席に着いても飲み物が届くまでなにも喋れなかった。届くのを待っている間、彼がいつも通りの格好をしていることやその服が何度目かのデートで着ていた服と同じだったことを思い出していた。彼と目線が合わない。でも彼も私のことを見ている。彼の記憶の中に今日の私はどこにもいない。
 飲み物が届くと彼は口を開いた。新しい人と出会ったこと、私たちの関係が冷め切っていること、私たちの関係を保ったまま新しい人と会うのは苦しくて、このままでは私に申し訳ないと思っていること。
 私は今の私で彼に会えただけで満足だったので彼に散々つっこみたいのを抑えて彼の言うままに別れてあげた。手元にあるグラスの水を彼にかけようかと思った。でもやめた。
 カフェがラストオーダーの時間になって、
「じゃあもう私たち終わりだね、これで最後だね」
 と言ってカフェを出ようとした。
「でも今も君のことが好きだから」
 彼は私の後ろからそう言った。出口へ歩いていく私の脚が少しだけ彼の方に引かれてコーヒーカップ1個分くらい歩幅が縮んだ気がした。振り返らないまま私は後ろに向かって手を振る。
 もう私は彼と会うことはないと思う。でも彼は私とどこかで会うかも知れない。今、私のいないカフェで私を見ているかも知れない。私のいないところで、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、私と別れたことを後悔していてほしい。今日を思い出して、もったいない恋だったと後悔してほしい。







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