日記

最近、同じ曲をずっとリピートしてしまう。今日は植田真理恵の『ハイリゲンシュタットの遺書』。「会いたいと思ってるのはこちらだけでしょうか なにも言わないでいいよ」という歌い出しが好きでずっと聴いてしまう。誰かに会いたいと思うとき、会いたいと思ってるのはこちらだけかもしれなくて、会いたいと思ってない人に会いたいと言うのはおそろしくて、会いたくないのに会いたいとか言ったら、会いたくない人はどんな返事をするだろう。返事はいらないので会いたいということだけ聞いてください。そんな感じで、会うつもりのない人への言葉みたいで好きだ。どうして人は人に会おうとするんだろうと思う。キャッチボールしたいから、とかなら、キャッチボールは複数人でやるものだからで、じゃあ会いたいは? 会って、おしゃべりしたいのかもしれないし、顔を見たいだけなのかもしれない。会って、顔を見て、じゃあね〜って、そういうことのほうが実は難しい。会う約束をつけるのに、ご飯を食べるとか、お茶に誘うみたいなのは、まぁ分かる。でも、顔をひと目見るために会う、という理由で会う約束をつけられる人はちょっといないし、顔見に来ただけだから、という言葉はアポ無しの言葉だし、アポ無しで会いに行くのはちょっと気が引ける。「会いたいと思ってるのはこちらだけでしょうか なにも言わないでいいよ」。会ってなにをするでもない人に会いたいとき、この歌詞のような気持ちになる。こっちだってまだ会いたいだなんて言ってないんだ、という調子で、会いたいことは否定されないし、会う約束をこぎつけることもない。別に会わなくていい。会いたいという感情が傷つけられないでいたいという感じ。別に会いたいと思ってるのがこちらだけだって構いやしない。そんな、ちょっと強気な感じもして好きだと思う。意思疎通を試みようとして挫折する感じ。希求と挫折が混ざり合っていて、好きなのかもしれない。

もしよろしければサポートお願いいたします。