日記・『10年目の手記』を読んで思ったこと

 11年目に10年目について振り返ることになるとは思っていなかった。

 節目、というのが苦手だ。いままでは「震災から10年」という見出しを見るだけで食わず嫌いみたいな感覚が働いてしまっていた。11年目の今年だから少しは冷静に見れるような気がする。

 僕自身は茨城で被災した。だから世の中の「3.11」にはあまり当てはまらない。それでも僕は「被災した」と言いたい。

 「自分は被災者ではない」という迷いを持っている人が少なからずいるように思う。それは東日本大震災が広域、それもかなりの広域に被害を与え、被害の程度がその人によって多種多様に及んでいるからだと僕は思う。

 でも僕たちは確実になにかを失った。それは被害の大小や人間の生死に関係なく、3月11日を境に失ったなにかがあるはずだと思っている。

 失ったなにかによって、僕たちはダメージを受けた。そのダメージを受けたことを「被災」と僕は言いたい。

 東日本大震災のあと、ショッキングな内容の映像を見たり話を聞いた。それは本当に耐え難い内容で、あまりの凄惨さに自分の被災状況が微々たる被害でしかないようにさえ思えた。

 しかし僕は確実に傷ついていたように思う。それは自分が受けた被害に限らず、たくさんのむごい災害の傷跡を僕はなんの保護もなしに見てしまっていたからだ。

 被災者と認められればむしろ自分を労れたかも知れない。地震から1ヶ月ほどでほとんど元の生活に戻って、以前のように日々を過ごしていても生活の大半に3月11日の出来事が紛れ込んできた。

 ニュースで見る数々の被災状況に、普段通りの生活をする自分がもう被災者ではない気持ちになっていった。むしろ、どうすれば同じ災害から人間は難を逃れられるかと頭を巡らせていた。自分の傷を癒す間もなく「被災者ではない側」に立っていた。

 離れた場所で起きている災害の状況が見えるこの環境が果たして適切なのか分からない。同じ世界での出来事に目を向けるべきであるようにも思えるし、かといってなにもかも現地と同様に目の当たりにしてしまうと受けるはずではなかった精神的なダメージを受けてしまう。

 見るものすべてに無責任ではいられないし、かといってそのすべてを自責で考えることも難しい。だからこそ、なにをどれくらいどのように受け止めるのが正しいのか分からないまま、見たまま聞いたままに受け止めていた。

 震災からしばらく経ったあとも1年ごとの節目では各メディアで特集が組まれ、その多くは東北のより大きな被害を受けた場所について描かれていた。

 それを見ているうちに、震災の節目がまるで行事のように扱われているように思えた。年に一度、一部の東北の人々のことを「かわいそうに」と思う日になっているような気がして憤った。

 思い出したかのように3月11日になると「かわいそうにと思わせる」ための映像が沸いて出てきて、僕はそれが心底嫌だった。誰かに「かわいそうに」と思われるために被災したのではないと、自分のことのように怒っていた。

 だから僕は東日本大震災について、そういう節目ごとに現れるコンテンツにふれないようにしてきた。特に昨年の10年目というタイミングはひどく警戒していた。

 でもその10年目の3月11日を前にひとつの小説に出会う。それがくどうれいんさんの『氷柱の声』だった。


 読んでいる途中からずっとただひたすらに感動していたように思う。言いたかったことが書いてある、誰かに言って欲しかったことが書いてある、そんなふうに思った。

 被災者を3月11日だけのアイドルにしてはいけないと思う。僕はそういうものを見たくないし、それで満たされるのは感動ポルノを見た時と同じ感覚なのではないか。

 『氷柱の声』の中に「希望のこども」という言葉が出てくる。震災から立ち直るこどもという存在を人々はどこかで求めていて、それを求められたこどもが人々の希望になるために「希望のこども」を演じなければいけない。

 こどもに限らず、被災者はそういう扱いをされていたように思う。甚大な被害を暖かい部屋で見ていた人々が、今度は希望までも被災地から享受しようとしていたのではなかったか。

 希望を見出すことでただ安心したいだけなのかも知れない。

 多くの人々が震災によって被害を受けた人々や場所の復興を願っていて、でもそれは何気なく他人を案じて聞いてしまう「大丈夫?」と同じように、良い知らせを聞いてただ安心したいだけなのではないか。

 しかし立ち返れば、それはある種正しい反応のようにも思う。すべてを自責と思って受け止めてはいられないと思う。

 たとえば、普段は距離を保って、3月11日を迎えると思い出すことはあるけれども、被災地の希望を見ることで安心し、また心を日常に戻す。

 下手に傷つくくらいなら、それくらいの距離感のほうが本人にとってはいいのかも知れない。僕はいまだに震災との正しい距離感が分からない。

 やっぱり僕も震災で被災したように思う。でも僕は絶望の淵から立ち直ったような劇的な被災者ではなくて、しかしそれゆえに負ったダメージもある。

 いまだに毎年3月11日への向き合い方に悩む。当事者のようにも思うし、どこか外側の人間にも思えて、ただその当事者と外側の人間との間にあるグラデーションの中の立場なのだとすれば、どちらの立場にも立てる自由な立場なのかも知れないと思った。


 とにかく今日は『10年目の手記』読み終えたばかりで、本を読んでいて思っていたことを言葉にしたかった。感想というよりは、頭の中を言葉で整理したくて。





もしよろしければサポートお願いいたします。