見出し画像

日記・「鳥影が射す」の所以はなんなのだろう

 盛岡の渋民には「障子に鳥の影が映ると来客の兆し」という言い伝えがあるらしい。

 渋民の出身の石川啄木が書いた小説『鳥影』にそのような描写があるようだった。なぜ鳥の影が映ると客が来るのか僕は知らない。

 渋民からは岩手山が見える。盛岡の中心街から見えるほうを表とすれば渋民から見える岩手山は裏になるようだ。

 裏の岩手山というのはいかにも富士山に近い形をしていて、雪の被り方や山の裾の広がり方が似ている。

 そして表の岩手山はというと、この春の頃に山頂の雪が溶け始めて、その溶けた形がまるで鷲が翼を広げて空を飛んでいるように見える。その様子から岩手山を別名「岩鷲山」とも呼ぶようだ。

 これは僕なりの解釈なのだけれど、鳥の影が障子に映るというのは、渋民から見えない表の岩手山で鷲が春に飛ぶさまを暗に言っているのではないだろうか。

 厳しい冬を越え、春が訪れると岩手山の向こう側では鷲が飛んでいるように見えるらしいと、渋民の人々は見たことがないけれども、春になると見えない山の向こう側の鷲の姿を想像していたのかも知れない。

 渋民の人々にとっては鷲が飛ぶ方が表ではなく裏であっただろう。それぞれの想像の中で飛ぶ鷲の姿を障子に映る影に見立て、春の訪れを客の訪れと置き換えて、「障子に鳥の影が映ると来客の兆し」としたのではないか、と憶測ながら思った。

 本当は正しい言い伝えがあるのだと思う。簡単に検索してみたところ「鳥影が射す」という言葉が来客の前触れを示す慣用句のようだった。しかしその所以は見つからなかった。


もしよろしければサポートお願いいたします。