日記

鞄の中で水筒のお茶をこぼした。ほんとうの意味で、水筒を信頼していない。子どもの頃からそうだ。水筒に入っているものはだいたいこぼれる。それも鞄の中でこぼれる。フタをしたはずなのにこぼれている。おかしい。おかしいなと思う。だから水筒を持ち歩くのが嫌いだった。しかし大人になって水筒を持つようになった。中身は水道水だった。つい最近まで。寒い日、水筒にお湯を入れるとしばらくあたたかいお湯を飲めることに気づいた。白湯だ。白湯は好きだ。それでもしかしたらお茶を入れて飲んだらおいしいのではないかと気づいた。やってみると、あたたかくておいしい。次第にそれを玄米茶にするようになった。コンビニでコーヒーを買うより全然安い。これはいい。そう思って今日も玄米茶を淹れた。寒い朝にあたたかい玄米茶は、香ばしくて、体の中からあたたまってうれしい。夕方、仕事を終えて鞄を車の中に置いた。玄米茶を飲もうとして水筒を手に取るとやけに軽い。嫌な予感がする。鞄がなまぬるい。この温度には身に覚えがある。指先に湿り気が伝わる。やってしまった。ずっと信じていなかった水筒に玄米茶なんて入れるからだ。自分がどれだけ油断していたのか思い知らされた。水道水がこぼれるならまだ精神的なダメージは小さい。お茶がこぼれるとなると、なんだかいやだ。お茶の匂いとか、お茶の染みとか、後に残るものを考える。あーいやだ。洗えるような鞄ではない。鞄の中身も濡れている。あーいやだ。僕は知っている。鞄の中をお茶にびしょびしょにされる惨めさ。誰も責めようがなく、せいぜい「もしかしたら蓋の閉めがあまかったのかもしれない」というあいまいな自責しかできない。あーいやだ。明日までに乾けばいいなと思う。水筒のことをまた信じられなくなってしまった。

もしよろしければサポートお願いいたします。