日記・忘れないために

忘れないって難しいなぁと思う。

2020年春の飲食店を営む人のポッドキャストを聴いていると人と会うことが制限されていた頃の話になり、そういう頃もあったよなぁと、もうずいぶん昔のような気がするわりに、ちゃんと数えてみれば3年前で、その頃は東京の桜を見ようと思っていたのにそれが叶わなかったのがすごくつらかった。

今年は見ようと思えば見に行けるだろうなぁと思う。総武線が秋葉原から向かって飯田橋に着く前に見えてくる神楽坂下の川沿いの桜、見物客でごった返す目黒川沿いの桜、早稲田を抜けた先の椿山荘近くでカーブを描く神田川の桜、それから井の頭公園の湖を囲う桜、花見客で賑わう上野の夜桜。ちょっと思い出すだけでも春の陽気と桜の香りが思い出される。

2019年まで、そういうことがなんとなくずっと続くように思っていたし、2020年もそうやって東京の桜を見に行くんだろうと思っていた。結果としてはそうではなかった。

コロナ禍初期(と僕は勝手に呼んでいる)は、Perfumeのライブが突然中止に(それも当日も当日)なったり、当時はまだライブ開催のルールも定まっていなかったから東京事変は予定通りライブを決行したりと、混乱に満ちていた気がする。僕もチケットを取ったクリープハイプのライブが延期になりやがて中止になり、はじめてチケットの返金をした。返金で返ってきたお金を見て「お金が返ってくるよりもチケットをずっと持ったままライブの日を待っていたかったな」と思った。

それから音楽ライブに行けるようになったのは2021年の12月だった。東京・九段下で電車を降りて、はじめて武道館に行った。客席はその会場のキャパシティの半分までと制限されていたから、簡単に見積もって武道館に集まった人は7000人くらいだった。それでも久しぶりに見るたくさんの人たちに、コロナ禍がここから終わっていくんだなと希望を持った。

武道館で希望を持ってから1年が経った。3年も経つとコロナ初期のことを忘れてしまう。いろんなことが失われてしまいそうで、失われていくものの中からひとつでも取り戻せるようにと、コロナ禍で解散してしまったバンドの歌を聴くたびに何度も思った。

コロナ禍と呼ばれる状況が落ち着いてくればくるほど、失われそうなひりひりとした感覚が減っていくのは、喉元を過ぎていく熱湯であり、また繰り返し熱湯を飲まされるとは思ってもいないみたいで悔しい。

忘れそうになる感覚をどこへ留めておけばいいんだろうかと思う。生活は少しずつ楽しくなっていく。その代わりにいちばん大切なものはなんだったのか忘れてしまいそうになる。

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