日記

書くことが好きという人はたくさんいて、多分ほとんどの人がそれぞれなにか理由があって書き始めたんだと思うんだけど、僕の世代ではブログが流行っていて、ブログに文章を書き始めたのが始まりだった。なんでか、毎日なにか書いていた。パッと思いついたことを書くのが楽しかった。パソコンを与えられた、というのが転機だった。親が使っていたパソコンをお下がりでもらった。古いウインドウズでもインターネットの海を眺めるには十分な窓だった。その習慣も一旦は途絶えて、それからしばらくして日記という形でまた毎日なにかを書いている。書き続けることに意味があるのかという問いは、書き続けることでしか答えを出せない。書き続ける人生と書くのをやめる人生、両方を選ぶことはできない。だから、シンプルに書く続ける他に答えは出ないし、答えが出るときは僕が死ぬときなので、答えが出るまで書き続けるということはつまり死ぬまでなにか書いている他にないと思う。自分の書くことの限界を試そうとしている。それもずっとずっと長く、これは個人的で絶対的な戦いで、自分がどれくらいなにを書けるのかずっと試している。もっとなにかいままで自分に書けなかったものがこれからも書けると思っている。それは多分、他人にとってはどっかで見たことあるような文章かもしれなくて、自分よりもっとうまく書ける人はたくさんどこかにいて、でもそういうことは大した問題ではない。自分の手で書けるという可能性に意味があって、それはつまり、少しずつでも誰かが書けているところまでは来ている、この、書くことを止むに止まれぬ人々の真贋混ざり合う文章の山という山の中で、贋物を足場に踏みしめ、ほんものの文章に手を伸ばそうとするときの、一瞬だけほんものに指先が触れたようなあの感覚をずっと忘れられないでいる。金曜日、今週はとにかく仕事が忙しく、ようやく終わったという感じが久しぶりにした。と思ったのも束の間で、直したはずの車が直っておらず、仕方なく仕事帰りに車を車屋へ預ける。直したつもりが直っていなかった、なんて、まぁままある話なので特に残念とも思わず怒りもない。

もしよろしければサポートお願いいたします。