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日記・YOASOBI号について思ったこと


 僕は本が好きで気になった本は躊躇なく買う側の人間で、でも本を買う人だけが本を買っていても限界があると思って、最近はいろんな人に本を手に取ってほしいと思っている。

 本が読みたいなら読みたい人だけが本を読んでいればいいと思っていたがそうでもなく、どうやって本を存続させるか、もっと言うと、どうやって本屋(あるいは本屋に準ずる場)を存続させられるか、というところに繋がってきた。

 ほしい本は取り寄せればいい、といえばそれまでだけれど、しかしそれではやっぱりどうしても「知っている本」しか手に入らない。存在を知っている本、なんとなく内容の予想がつく本、自分の興味の範疇を出ない本。

 なんとなーく眺めているうちに「気になる本」を見つけられるのが本屋の魅力だと思う。それもなんとなーく、本棚を眺めていると、ふと注意を持っていかれる本がある。

 そういう本との出会いの場が本屋で、本屋は本を売っていて、本が売れないと生きてはいけない。僕は本屋ではないけれど、本屋に生き残って欲しくて、微力だとしても力になれればいいなと思っていた。

 というかむしろ本屋になろうか、とも思った。でも僕は本屋で働いたことがないし実際の仕組みはよく分からない。すぐに本屋をやるのは難しいと思った。

 なにかどこかで、少しでも本屋の内側に近づける場所があればいいなと思っていた。そういうことができればいいなと思っていて、いろんな人にそんな話をした。そんな中で偶然にも懐の深い本屋に出会った。

 日替わり店長、という名をもらって今度本屋に立つことになった。まずは本屋の内側に立つ。お客さんとしてではなく、本屋の人として本屋に居ることになる。

 ありがたいことに選書もさせてもらった。本を選んで売ることの喜びと難しさを味わいたいと思う。

 そういった中でYOASOBI号の企画を見たときに「なんてすばらしい企画なんだ!」と思った。ファンとしてもそうだし、いままで本を手に取る機会の少なかった人たちに本屋から出向いて本を手に取ってもらう、それもYOASOBIの「小説を音楽にする」というコンセプトだからこそ力強いエネルギーを持って本をおすすめできるそのコンテンツとしての土壌が本屋を企画する説得力にもなっている。

 特に、ikuraちゃんが選書した文月悠光さんの『わたしたちの猫』がイベントの日に早々に売り切れてしまったことに本当にびっくりした。『わたしたちの猫』はナナロク社から出版されている詩集で、詩集がこんなにたくさん売れるイベントは中々ないのではないかと思う。

 好きなアーティストが好きな本はやっぱり読みたいし、本を音楽アーティストが自らレコメンドして、かつ自分たちの企画で売れるというのはすごく強いと思う。本をおすすめしているアーティストが自らその本を売る、というのはいままでありそうでなかったのではないか。

 恐らく、通常であればYOASOBI関連の本などを売る場になっていたはずだが、今回移動式本屋のBOOK TRUCKとコラボして生まれた効果はかなり大きいと思う。本屋との協業によって扱える本の数も増え「アーティストが選書した本をアーティスト自身のイベントで売る」ことが可能になったのでないだろうか。

 物体としての本の良さは、その本の内容とは全く別に、その本と出会った物語が付与されることにある。今回でいえば「YOASOBI号で買った本」という物語を持つ。つまり、本には本の内容とは別に「横浜の風景」や「カレーの味」や「YOASOBIのイベントに関わる記憶」が加わる。

 本はセーブポイントで、あの時買った本、あの時読んだ本、というエピソードの記憶が保存されていて、これは物体としての本の良さだと思う。YOASOBI号でもらったしおりを本に挟んだまま本棚に入れておけば完璧で、きっと時が経っても本を開いたらすぐに青いトラックと赤煉瓦が脳裏に見える。

 そういうのも全部ひっくるめて読書体験と呼ぶのだと僕は思っている。そういう意味でもYOASOBIは「新しい読書体験」の提案をし続けている。

 小説を原作にした音楽によって生まれる音楽と小説の新しい関係性や、音楽アーティスト自ら企画した本屋によって生まれる新たな本との出会い方。

 思えばYOASOBIはEPやライブBDのデザインも本をモチーフにしていて、またライブTシャツの紙タグはしおりに使える仕様になっていて、本を愛しているYOASOBIが行き着いた「本屋」という企画は恐らく必然だったのだとも思える。

 本屋に生き残ってほしい本好きとして、YOASOBIは本当に心強い。僕がYOASOBIを好きになったのも、もしかすると必然だったのかも知れないと最近思う。



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