日記・フェスの中止が意味すること

 フェスを仕事にしている人にとって「フェスをやるな」というのは仕事を失うのと同義で、それを何の権限もなければ中止の補償もできない人々には強制力はないし、そんな中で開催中のフジロックがどういう結果を生もうと投じた一石は大きいと思っている。

 ロッキンの中止も一石を投じたと思っている。ひとつの企業が中止を決断した状況でオリンピックの有観客開催は間違いなく文脈を読み違えているし、ロッキンの中止が影響したかは定かではないが結果として基本的には無観客での開催となった。

 しかしフェス関係者にとっては収入源が絶たれた訳で、オリンピックのチケットはまだ返金の目処が立っていないようだが、ロッキンのチケットに関してはチケットの代金だけでなく支払い時の手数料まで全額返金があった。

 一方、途中まで進んでいたロッキンの準備にかかった費用は誰が補償してくれるのか。どんなに大きな企業であろうとひとつの民間企業でしかなく、その金銭的体力には限界がある。

 潰れてしまえばそれまでのこと。そう言っているようにしか思えない。フェスで生計を立てていた人はどうやって生きていくのか、その想像をする余裕が人々にはもう残っていないのかも知れない。

 その時していた仕事があだとなって人が死ぬ国で、どうやって安心して生きていけばいいのだろう。フェスが中止になったところで誰かの死と引き換えに安心を手に入れただけで、その血塗られた安心に明日は自分の血を吸い取られるだけだ。

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